(年をとって物忘れが)などとぼやく人が多いけれど、わたしなんかは端から覚えていないのだから忘れたと言えるかどうか曖昧でしかない。
記憶の積み重ねというのはあるけれど、忘却の積み重ねはない。
老いて物忘れが烈しくなった・・・という友人たちの言葉に同調している。けれど心の中では(昔からなんだけど)と、苦笑い。記憶力が未熟な人間に忘却力の促進というものはあるのだろうか。
近眼の人が老眼になり難いという話を聞いたことがある。覚えの悪い人間が忘れ難い状況になることはあるだろうか(笑)
定理を理路整然と記憶し、その方式にしたがって解答していく数式の美しさ。頭脳の持つ力は美しく憧れである。
学校で習わないこと、つまりは状況把握という非常に微妙な空気を感知するアンテナ。
目立たないように(馬鹿がばれないように)沈黙を押し通してくると、発達する部位かもしれない。そういう感覚が無いともいえない。
特技とも呼べず、風変わりな感覚にすぎない。
その感覚を頼りにブログを書いている。
「毎日何をしているの?」
「べつに・・・ただ何となく」書いているブログ・・・強いポリシーは無い。何か得体の知れない力が、わたしの背中を押している、そんな日常である。
記憶の積み重ねというのはあるけれど、忘却の積み重ねはない。
老いて物忘れが烈しくなった・・・という友人たちの言葉に同調している。けれど心の中では(昔からなんだけど)と、苦笑い。記憶力が未熟な人間に忘却力の促進というものはあるのだろうか。
近眼の人が老眼になり難いという話を聞いたことがある。覚えの悪い人間が忘れ難い状況になることはあるだろうか(笑)
定理を理路整然と記憶し、その方式にしたがって解答していく数式の美しさ。頭脳の持つ力は美しく憧れである。
学校で習わないこと、つまりは状況把握という非常に微妙な空気を感知するアンテナ。
目立たないように(馬鹿がばれないように)沈黙を押し通してくると、発達する部位かもしれない。そういう感覚が無いともいえない。
特技とも呼べず、風変わりな感覚にすぎない。
その感覚を頼りにブログを書いている。
「毎日何をしているの?」
「べつに・・・ただ何となく」書いているブログ・・・強いポリシーは無い。何か得体の知れない力が、わたしの背中を押している、そんな日常である。