12月、師走である。
新聞紙上でも大掃除の手順を教え、TVでもその技を教示している。
それらをよく見ても、やっぱり掃除方法は革新的とはいかず、毎年同じようなプレッシャーを背負いながらも簡単に済ませている。
昨日は網戸を外して洗い、そのあいだにカーテンを洗濯、その間に窓ガラスを拭き・・・(手の届かないところはパス)。
老眼も極まる昨今、網戸など見ても洗う必要ないと感じるけど、とにかく実行できるうちはやりましょう!といった具合。
あっちにもこっちにも不要なもの(ごみ)が・・・見ないでおこうか、片付けようか。
シンプルに、簡素に暮らしたいのに物が増えていく。解消法は《見ないで捨てる》方式に頼るしかない。
クリスマスの飾りなどもずいぶん処分し、ここ数年は出すことさえない。
スーパーで当てた賞品のツリーを古くなったので捨てたら、息子に泣かれたことがあった。懐かしく思い出すと、処分の手が止まってしまう。
物は、人と共にある。愛着も何もない仙人のような暮らしをするには、まだまだ人としてのレベルが低すぎるわたし。
師走は自分を問う季節でもある。
今年のうちに片付け、来春はキレイさっぱり新しくは、無理かもしれない。(そうして曖昧な迷いは掃除におけるわたしの堕落を許容する)
新聞紙上でも大掃除の手順を教え、TVでもその技を教示している。
それらをよく見ても、やっぱり掃除方法は革新的とはいかず、毎年同じようなプレッシャーを背負いながらも簡単に済ませている。
昨日は網戸を外して洗い、そのあいだにカーテンを洗濯、その間に窓ガラスを拭き・・・(手の届かないところはパス)。
老眼も極まる昨今、網戸など見ても洗う必要ないと感じるけど、とにかく実行できるうちはやりましょう!といった具合。
あっちにもこっちにも不要なもの(ごみ)が・・・見ないでおこうか、片付けようか。
シンプルに、簡素に暮らしたいのに物が増えていく。解消法は《見ないで捨てる》方式に頼るしかない。
クリスマスの飾りなどもずいぶん処分し、ここ数年は出すことさえない。
スーパーで当てた賞品のツリーを古くなったので捨てたら、息子に泣かれたことがあった。懐かしく思い出すと、処分の手が止まってしまう。
物は、人と共にある。愛着も何もない仙人のような暮らしをするには、まだまだ人としてのレベルが低すぎるわたし。
師走は自分を問う季節でもある。
今年のうちに片付け、来春はキレイさっぱり新しくは、無理かもしれない。(そうして曖昧な迷いは掃除におけるわたしの堕落を許容する)