続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

アントニー・ゴームリー。

2012-12-12 06:38:31 | 美術ノート
 県立近代美術館 葉山の屋上と庭園内のあずまや付近に設置された二つの像「Tw0 Times」

 一つは屋上(高く人の手の及ばないところの設定)、一つは海岸付近。
 天空を仰ぎ、地の底へ沈み込むようなイメージ(企画)である。屋上の人体像は山(東)を向き、海岸付近の像は海(西)を向いている。作家自身を模った人体像は、わたくしであり、人類である。

 つまりは世界との媒体である人体像は裸身であり、像自体に意味を与えるものではない。むき出しの有機物質である人体を無機質なものに便宜上置き換えて設置しているというわけである。


 二つの時空は一つを意味しており、更に言えば地球をも包含している。(メッセージはそう聞こえるが、現実には制約がある)

 設置された像は美的感覚をもつ象徴ではない。ただ人が存在しているという普遍性の任意の一点なのである。だからある意味、ここにはこの人体の増殖を仮想できる余地がある。二つというより無限をも内包した二つなのである。


 作品には飛躍があるので、その注解は非常に沢山の解釈が必要になる。しかし作品は黙して立つばかりであるから沈思のうちにそれを聞き取らねばならない。
 作家は端的な表現手段としての人体模型を任意の場所に設置しながら、場所の条件との接点が普遍性を持つように苦慮している。

 どのような形態がその場所(時空間)との答えを見出せるかを究極つきつめている。天地、海山、(恵みと災害をもたらす)自然、地球と太陽、宇宙の茫漠・・・作品は常に答えを求めている。


(一度行けばそれで終わりの鑑賞・・・今回二回目の美術館行き・・・改めて感じることが多く、「通う」ことの意義を痛感)

『洞熊学校を卒業した三人』32。

2012-12-12 06:24:31 | 宮沢賢治
 子供らは網の上ですべったり、相撲をとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。おまけにある日とんぼが来て今度蜘蛛を虫けら会の副会長にするといふみんなの決議をつたへました。

☆死の苦しみの妄(空想)を消し、照(あまねく光があたる)ことを吐く(言う)。
 化(形、性質を変えて別のものにする)を頼りに襟(心の中)を図(企てる)。
 智(心に感じる)手(方法)で注/書き記す。
 開くと複(二つ)の解が重なって結びついている戯がある。

『城』1122。

2012-12-12 06:03:29 | カフカ覚書
「まるで的はずれですわ」
「でも、これは、たしかにいただし、ここに寝ていますよ」
Kは自分の見かたに固執した。

 板/Brett→Blut/生命、人間、血統。
 笑う/lachte→rachen/復讐する。
 寝ている/liegter→ringen/格闘する。

☆「すべてうそです」お内儀は笑った。(お内儀(監視、親衛隊)の復讐という暗示)
 「しかし、これは確かに人間であり、ここで格闘しています」Kは自分の立ち位置に固執した。