続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

朝井閑右衛門『丘の上』補。

2012-12-16 06:42:49 | 美術ノート
 表現方法には制約というものがつきまとう。
 とりわけ絵画(平面、二次元)というものは、動かない一場面である。それゆえ、製作者の思い入れは美的感動、事実(歴史)の記録、対象への憧憬、心理の反映など様々な意図を鑑賞者に伝える手段としているが、単発的な意味に留まることが多く、そういう前提のもとに絵画という形式があるわけである。


 絵画作品の特質・・・朝井閑右衛門は鋭くそこを突いている。

 作品にはセリフがなく語らない。一場面のみなので動かない。故に、この作品の展開には想像という余白を大きく残している。

 映画などであれば必ず、人は語る(説明)。語ることによって意味は限定されていくけれど、絵画にはそれがない。意味を主張しようとしてもそれは鑑賞者の想像に委ねるしかないのである。ストーリーの展開や複雑な心理などは言語手段なくして伝えることは難しい。


 語らず、動かないという制約を逆手に取った『丘の上』という作品の、膨らみあるストーリー展開、男女における普遍的なやり取り・・・愛憎の発端であり、その行方を天にも地にも響かせるような舞台設定をし、着想を一枚の絵画に表現せしめたことは驚異であり敬服の至りである。

 500号という大作、大きさは単に大きさを誇示したものではなく必然的な大きさであった事は前にも述べたけれど、鑑賞者が作品に登場する人物の誰に感情移入しても成立する設定空間であればこその作品だからである。計算されつくされた大きさ・・・登場人物の体躯、着衣、時代の象徴とも思える名画を引き合いに出した作為の巧み。
「衣食足りて礼節を知る」という日本の時代背景を揶揄しているとも思えるこの作品、(衣食満たされれば、次なる野心が生まれる)
 朝井閑右衛門若き日の集大成、名作である。

『洞熊学校を卒業した三人』36。

2012-12-16 06:36:13 | 宮沢賢治
「うう、くもめ、よくもぶじょくしたな。うう。くもめ。」といってゐました。
 網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこはされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。

☆妄(空想)により弐(二つ)を字(文字)に封(とじこめる)。
 旨(考え)は周(あまねく)禅(心静かに真理を悟る、修行する)ことである。

『城』1126。

2012-12-16 06:17:41 | カフカ覚書
「よくおわかりになったわ」と、彼女はKをほめた。「彼と個人的に会ったことのない人には、それ以上はわかりませんわ。でも、すてきな若者ですわ。わたしは、一度だけちらりと会ったことがあって、それ以来彼のことがわすれられませんの」

 それ以上/mehr→mar/伝説、うわさ、作り事。
 すてきな/schoner→schoner/覆い。

☆「予言者ね」お内儀(監視、親衛隊)は悟られないように言った。でも彼と個人的に会ったことのない人には先祖の伝説なんです。覆われて人に知られないようにした新しい人です。わたしは先祖の痕(傷痕)を見たことがあって以来決して忘れません」