続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

へぇ~。

2013-05-03 06:47:39 | 日常
 美術には何の関心も示さなかった息子が
「この前、初めて横須賀美術館に行ってきたよ」という。
「へぇ~、何を見に?」(半信半疑)

「うん、椅子の展覧会があっただろう、どんな具合かと思ってね。自分も椅子を設計したいと思っていたから」
「へぇ~」(びっくり)
「気に入ったのなかったなぁ」(生意気)
「でも、あの美術館いいねぇ」と。

 へぇ~、お前がねぇ、美術館に行くなんて、青天の霹靂。


 わたし自身、美術館へ行くことは(稀に)あるけれど、昔に比べて時間があるし・・・と言った感じで、熱烈という観点からは少しずれている。美術館に行くとき本当に自分は美術に心酔しているのか疑問に思うことがある。
 確かにマグリットは好きだし・・・(画面に潜む謎解きに興奮するだけではないか)

 自分の中の殻を打ち破れない、俄然、何もかも打ち捨ててもという奮起が沸き起こらない。むしろそういう期待に導かれて美術館に足を運んでいるに過ぎないのではないかと、自身を疑っている。

 その程度の偽美術愛好家の息子が、自ら美術館に行ったということに、母は心から拍手を送りたい。(そういう人生を歩いて!)


 へぇ~、お前がねぇ、美術館に行ったなんて、お母さんは何より嬉しいよ。
 

『セロ弾きのゴーシュ』76。

2013-05-03 06:36:16 | 宮沢賢治
「あ、夜が明けたぞ。どうもありがたう。」狸の子は大へんあわてて譜や棒きれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめておじぎを二つ三つすると急いで外へ出て行ってしまひました。


☆野(自然のまま)の冥(死後の世界)、理(宇宙の根本原理)である死が題(テーマ)である。
 普く謀(計画している)のは、字に算/見当をつけ、究める我意を推しはかるという考えである。

『城』1260。

2013-05-03 06:19:28 | カフカ覚書
わたしは、村長さんの口授によって、あなたがたの会議の内容を簡単な調書に作成しただけなんですが、それによっても、村長さんの善意とあなたの応答ぶりを十分知りましたよ」

 口授/Diktat→Dichtung/創作、虚構。
 応答ぶり/Antwortrn→Ende warten/死ぬ、展望。

☆わたしは村長(死への第一の門)という虚構によって、あなたがたの論ずる些細な記録で作成しただけなんですが、それによっても村長(死への第一の門)との和解とあなたの死の展望を十分知りました。