美術には何の関心も示さなかった息子が
「この前、初めて横須賀美術館に行ってきたよ」という。
「へぇ~、何を見に?」(半信半疑)
「うん、椅子の展覧会があっただろう、どんな具合かと思ってね。自分も椅子を設計したいと思っていたから」
「へぇ~」(びっくり)
「気に入ったのなかったなぁ」(生意気)
「でも、あの美術館いいねぇ」と。
へぇ~、お前がねぇ、美術館に行くなんて、青天の霹靂。
わたし自身、美術館へ行くことは(稀に)あるけれど、昔に比べて時間があるし・・・と言った感じで、熱烈という観点からは少しずれている。美術館に行くとき本当に自分は美術に心酔しているのか疑問に思うことがある。
確かにマグリットは好きだし・・・(画面に潜む謎解きに興奮するだけではないか)
自分の中の殻を打ち破れない、俄然、何もかも打ち捨ててもという奮起が沸き起こらない。むしろそういう期待に導かれて美術館に足を運んでいるに過ぎないのではないかと、自身を疑っている。
その程度の偽美術愛好家の息子が、自ら美術館に行ったということに、母は心から拍手を送りたい。(そういう人生を歩いて!)
へぇ~、お前がねぇ、美術館に行ったなんて、お母さんは何より嬉しいよ。
「この前、初めて横須賀美術館に行ってきたよ」という。
「へぇ~、何を見に?」(半信半疑)
「うん、椅子の展覧会があっただろう、どんな具合かと思ってね。自分も椅子を設計したいと思っていたから」
「へぇ~」(びっくり)
「気に入ったのなかったなぁ」(生意気)
「でも、あの美術館いいねぇ」と。
へぇ~、お前がねぇ、美術館に行くなんて、青天の霹靂。
わたし自身、美術館へ行くことは(稀に)あるけれど、昔に比べて時間があるし・・・と言った感じで、熱烈という観点からは少しずれている。美術館に行くとき本当に自分は美術に心酔しているのか疑問に思うことがある。
確かにマグリットは好きだし・・・(画面に潜む謎解きに興奮するだけではないか)
自分の中の殻を打ち破れない、俄然、何もかも打ち捨ててもという奮起が沸き起こらない。むしろそういう期待に導かれて美術館に足を運んでいるに過ぎないのではないかと、自身を疑っている。
その程度の偽美術愛好家の息子が、自ら美術館に行ったということに、母は心から拍手を送りたい。(そういう人生を歩いて!)
へぇ~、お前がねぇ、美術館に行ったなんて、お母さんは何より嬉しいよ。