続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

がらがらポン!

2013-05-08 06:51:31 | 日常
 川の流れは絶えずして行き交う人もまた旅人なり・・・水は同じところに留まると腐るとも言う。

 何かに申し込んで、知らない人たちの中に混じることの楽しみをここ十年味わっている。(なにか、もういいや)という捨て身と(もっと知りたい)という前向きの混濁がわたしを突き動かしている。

 今日の「歩こう会」も、海岸線に沿った三浦半島一周企画に応募したことから始まっている。あの時応募のチャンスを逃したら今はなかったと思う。友達、仲間はわたしを支えてくれる。歩けないいくじなしのわたしを歩かせてくれることの意義は大きい。
 歩くこと、出かけることを嫌悪しているうちに、信じがたい現象、歩けなくなってしまったと気づいたときの衝撃の深さ・・・この悩みを解消してくれたのが、外へ出ざるをえないイベント(野外学習)への応募だった。


 地域のイベントは十年も経つと同好の士であるゆえに顔見知りになり、かけがえのない友人に変っていく。十分な至福を味わいながらも奮起して、さらに範囲を広げ公共機関のイベントや今回お世話になったアートテラーさんのツアーなどに参加すると、それこそ年代や居住エリアもランダムであり、思いがけない出会いが待っている。


「がらがらポン」で出会いを求める。当方ちょっと年配格であれば、気が引けないこともないけれど、まぁそこは「歩けなくなるまで」がリミットと割り切っての参加、素知らぬ顔で外の空気を吸っている。

 何が出るか分からない楽しみ「がらがらポン」にお任せの前期高齢者のわたし。

『セロ弾きのゴーシュ』81。

2013-05-08 06:37:11 | 宮沢賢治
すると野ねずみは何をわらはれたらうといふやうにきょろきょろしながらゴーシュの前に来て、青い栗の実を一つぶ前においてちゃんとおじぎをして云ひました。

 野ねずみはヤと読んで、夜。
 何はカと読んで、化。
 前はゼンと読んで、全。
 来てはライと読んで、頼。
 青いはショウと読んで、照。
 栗はリツと読んで、律。
 実はジツと読んで、実。
 一つぶはイツと読んで、逸。
 前ハゼンと読んで、全。
 云ひましたはウンと読んで、運。

☆夜の化(形、性質を変えて別のものになる)を全て頼りにし、照(普く光があたる=平等)の律(きまり)が実(内容)である。逸(かくして)全てを運/めぐらせている。

『城』1265。

2013-05-08 06:17:36 | カフカ覚書
「そうではありません。けれども、わたしだって、ロボットじゃありませんからね、やむなく自分の意見を口に出してしまったまでです。

 kein→kahn/小舟。
 ロボット/Automat→ort/場所、空間。matte/敷物。

☆教師(空虚)は言った、けれどもわたしは小舟を(運ぶ)空間ですから、自分の信念を言う義務もあります。