続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

同年代の気安さ。

2013-05-19 07:18:14 | 日常
 買い物帰り、バス停に向かうと近所のAさんがベンチに座って手を振っている。
「前のバスに乗り遅れちゃって」と、はにかんだ。

 話しているうち、
「眉毛も睫もうすくなっちゃって・・・ほら、もうないのと同じ」とメガネを外して見せた。でも当方老眼なので明確には確認できないまま、
「そうなの」と相槌。
「だって、知らないの?わたし抗がん剤を打っているから」と打明け、「ほら胸もね、入れてんのよ」と触らせんばかりの説明。

「で、今日は何でここへ?」と、わたし。
「カーブス(軽運動施設)、少しでも身体を動かさないと・・・このままじゃ終りたくないわ」と、きっぱり。

 同年代の気安さ・・・乳がんは珍しくない。友人たちの何人かを直ぐ数え上げられるほどで、むしろ偶然わたしは洩れてしまったという感もしなくない。


 何か深刻な話をしても肯きあえる年齢。お互い残りの時間をどうしたら無事に乗り切り、できれば楽しく笑いあって過ごすことができるか。(競走はもういいの、レースは観客の側に廻って見るだけ)

(なるようになるもの・・・)

 
 激しく誰かを罵り、自分を主張する人もいなくはない・・・冷笑、淋しく笑って黙認。どんなエリアにも例外はあるけれど、同年代の括りは鷹揚である。
 みんな《明日はどっちだ》と、崖っぷちに立っていることを自覚しているから、知人に出会うとかなり高揚した気持ちになってしまう。

 そんなわけで、見えない明日を想い、
「またね」
「またね」と、まるで、女学生のように手を振り合って別れる老女をお見かけしても奇異に想わないで下さい。

『セロ弾きのゴーシュ』92。

2013-05-19 07:08:19 | 宮沢賢治
「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもさうですから。」おっかさんの野ねずみはきちがひのやうになってセロに飛びつきました。
「おまへさんもはひるかね。」セロ弾きはおっかさんの野ねずみをセロの孔からくぐしてやろうとしましたが顔が半分しかはひりませんでした。

 行きますはコウと読んで、光。
 病院はビョウ・インと読んで、平、陰。
 野ねずみはヤと読んで、也。
 飛びつきましたはヒと読んで、日。
 セロ弾きはダンと読んで、談。
 孔はコウと読んで、光。
 顔はface→Faith/信仰。
 半分はハン・ブンと読んで、範、文。

☆光の平(平等)が隠れている也。
 秘(人に見せないようにする)の談(はなし)也。
 光の信仰を範(手本)とする文(文章)である。

『城』1276。

2013-05-19 06:35:18 | カフカ覚書
それは、Kという男はわが身を防衛するためならいろんなことをやってのけるだけの能力をもっている、それを食いとめるためなら、村としてもある程度の出費はいたしかたない、と村長が考えているらしいことを暗示しているからである。


☆それは、Kという男(土地を失ったことに気付いた人)はわが身を防衛するためならあらゆることをやってのけるだけの能力がある、それを食いとめるためなら、信奉者として多少の時間を費やしても正当化を証明するのだということが、村長(死への第一の門)の意見だと説明した。