続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

女優・中谷美紀賛(李禹煥考)。

2013-05-20 06:27:59 | 美術ノート
 日曜美術館で、瀬戸内/直島を訪ねた女優の中谷美紀さん。

「この人(作品)に逢いに来ました」
 この人って・・・李禹煥!

「この余白・・・頭で考えたことを身体(手足)で表現していく。同じなんですね、わたしの仕事も・・・」

「・・・」しばし画面を見つめながら、この余白に直感的に魅かれた中谷美紀さんの鋭敏な感性に驚愕。(すごい女優さんだわ)


 庭に置かれた作品を遠くに見て「ああ、あれも李さんの作品ですね」

『関係項シリーズ』

 とても持ち上げられないような大きな石と、少し距離を置いた角のめくれた厚い鉄板。ただ置いてあるだけの関係なのに微妙な引力を感じざるを得ない沈黙のメッセージ。存在の寓意性と、知覚の心理。人為的な媒介は答えを限定しないが、明らかに厳密な計算を持って鑑賞者を迷路に誘う。廻り込み覗き込む。そのうち鑑賞者である自分が、作品との関係に巻き込まれているのを感じる不思議な空気。無機質な物体は有機質の燃える物体に問いかける。「存在とは何か」と。


 室内の作品・・・この中の一作品は、かつてNHK『日曜美術館』で、製作過程を放映されたと記憶している。アトリエには見下ろせる高所にベランダ風の張り出しが設えてあり、離れて見たり高みに上がって見たりと忙しく凝視を止めることのない李氏の姿が映し出されていた。

「この余白・・・」中谷美紀の高揚した感動に、ただ者でない気配(オーラ)を感じたわたし。わたしの感想を盗られたような、しかも上回る行動力で作品を求め、また実際に直島へ渡った中谷美紀の崇高とも思える役者魂。

「ケイゾク」や「JINー仁」での中谷美紀のファンに過ぎなかったわたし、今は仰ぎ見る気持ちで女優/中谷美紀を感じている。

『セロ弾きのゴーシュ』93。

2013-05-20 06:21:17 | 宮沢賢治
 野ねずみはばたばたしながら中のこどもに叫びました。
「おまへそこはいゝかい。落ちるときいつも教へるやうに足をそろへてうまく落ちたかい。」
「いゝ。うまく落ちた。」こどもねずみはまるで蚊のやうな小さな声でセロの底で返事しました。

☆夜を注(書き記す)興(面白み)を促す楽しい絡(つながり)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)精(霊)の象(すがた)や態(ありさま)は、遍く二つある。

『城』1277。

2013-05-20 05:48:14 | カフカ覚書
たかがこれくらいのことをなんと大袈裟に考えているのだろう!この教師のやつも、ここでもう長いこと待たされ、そのまえには調書をつくっていたのだろうが、さだめし村長に追いたてられるようにして駈けつけてきたのにちがいない。

 大袈裟/wichtig・・・勢力のある。
 調書/protokoll・・・記録。

☆勢力のあるものがこの事件を受けたのだろう、教師(空虚)もここで、先祖をかなり長いこと監視し、記録を作成したのだろうが、まさしく村長(死への第一の門)に追いたてられたに違いない。