続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

百合に見とれていたら・・・。

2013-06-06 06:22:56 | 日常
 バスに乗り遅れては大変と急いだはずの道に・・・白百合の花。

 あんまり綺麗で見とれていたら、バスに乗り遅れ、しかも次のバスが来ない・・・いくら待っても来ない(講座の開始時刻に間に合わないかも)と、やっと来たバスに乗車。

 運悪く渋滞・・・ああ今ごろ「歩こう会」のメンバーは浦賀駅に集合しているはず。休んでまで来た講座には間に合いそうもない。重なる不運?(心が折れるって、こんな感じかな)

 えい、もう仕方がない。なるようになるわと向かった博物館。
「三浦半島の干潟の多様な動物」
 ヨシやアマモ類などは硝酸態窒素やリン酸塩などを吸収し、水の浄化作用をしていること。干潟の砂の粒には「硝化菌」という微生物が付着していて毒性の強いアンモニア態窒素を毒性が弱く植物の吸収に適した硝酸態窒素に変えること。干潟の泥の中には「脱窒菌」と呼ばれる微生物が硝酸態窒素を分解して無害な窒素分子をつくり大気中に放出していること。流れ着いた生き物の死骸は干潟に生息する小動物(カニ、ゴカイ、貝類)によって分解吸収され、これらを野鳥や魚類などの大型動物に食べられることによって、栄養分が他の水域や陸地へと分散し、「栄養循環」になっていること。(資料より)

 地球上の生物があらゆる循環を施しているのに、人間がそれを止めるような不遜は許されないのだと、つくづく・・・。


 白百合は、わたしの心を浄化して余りある美しさだった。物理的でなく、精神的な浄化作用も人間には必要である。

『セロ弾きのゴーシュ』110。

2013-06-06 06:01:59 | 宮沢賢治
ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろといふやうに一そうひどく手を叩きました。わあと叫んだものもあるやうでした。

 孔はコウと読んで、講。
 困ってはコンと読んで、混。
 舞台はブ・ダイと読んで、無、題。
 出るはスイと読んで、推。
 見ろはゲンと読んで、現。
 一そうはイツと読んで、逸。
 手はシュと読んで、趣。
 叩きましたはコウと読んで、講。
 叫んだはキョウと読んで、教。

☆講(はなし)を混ぜることは無い。題(テーマ)を推しはかると現われる逸(隠れた)趣(考え)の講(はなし)で、教/教え導いている。

『城』1294。

2013-06-06 05:45:57 | カフカ覚書
Kと城につながりがあるのなら、さっさとそれを利用するが良い。というのは、きょうじゅうにも、いや、いますぐにでもこの家を出ていってもらいたいし、城の当局から直接の命令や強要がないかぎり、二度とここに迎えるつもりはないのだから。

 城/Schloss→Schluss/終了(死)、推論。
 sehr→Sher/予言者。
 さっさと/schnell→schnsllen/理解する、だます。
 当局/behordlichen→beforden/追い出す。 

☆Kが推論するのは単に予言者の理解を利用するだろうということであり、いまやあからさまな追い出し命令や強制を再び考えてみる必要があるのだから。