続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

梅雨の晴れ間。

2013-06-18 07:03:04 | 日常
 今日こそはと、意を決して戸棚の整理をはじめた。まず棚のガラス戸を外し洗剤をつけて洗い流し、乾かしている間に食器類の下に敷いたタオルを新しいものに変える。
 以前は総ての食器類を洗っていたけど、使用時に洗えばという安易さに移行しているから、作業を始める気にさえなれば後は比較的スムーズにいく。

 片づけをしていて思うことは一つ・・・要らない物、たとえ未使用であっても使わないものは処分しようということ。これがなかなか難しい・・・ちょっと無理して張り込んだから(世間一般から見たら、ごく安物)

《う~ん・・・持った手が一瞬止まる》


 もし、わたしが死んだ後には、きっと捨てるに違いない。みんなまとめて捨てるに違いないものを後生大事にすることもないし、子供たちに少しでも(申し訳ない)などという気持を抱かせては気の毒である。ギリギリの選択をしてなるべく《シンプルに》をモットーにしている。


 それでも捨てきれない物を戻すと、棚は前のように一杯になってしまった。
(これがあったら、この色がステキ、せっかく来たから思い出に・・・購入時の思いが過ぎると懐かしさがこみ上げる)


 ずっと前に、七宝焼きの先生が言っていた言葉を思い出す。
「台所のお道具は包丁とまな板、余計なものを揃えることはないんですよ。」

 余計なものがいっぱいのキッチン。
 余計な妄想がいっぱいのわたしの頭の中。

 何時になったら片付くのだろうか。

『ポラーノの広場』1。

2013-06-18 06:50:58 | 宮沢賢治
 そのころわたくしはモリーオ市の博物局に勤めて居りました。

 モリーオ市はシと読んで、死。
 博物局はハク・ブツ・キョクと読んで、魄、仏、極。
 勤めてはキンと読んで、経。
 居りましたはキョと読んで、拠。

☆死の魄(たましい)は仏の極(いきついたところ)であり、経(不変の真理を説いた書物)の拠/よりどころである。

『城」1306。

2013-06-18 06:21:07 | カフカ覚書
もうしばらくでもここに居すわることができたら、おれの立場は、あるいはきょうの午後にも一変しないともかぎらんのだがな。

 しばらく/weilchen→wahrlich/本当に。
 ein→ahn/先祖。
 立場/Lage→Rage/憤怒。
 午後/nachmittag→nachen mit tag/小舟、共に、明るみ。

☆もし先祖が、本当にまだ留まっているとしたら、今まさに、わたしは憤りながら小舟と共に死ぬのかもしれない。