続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

梅雨の晴れ間。

2013-06-22 06:51:22 | 日常
 予報は晴れ、しかも暑いらしい・・・。

 今日こそは、衣類の整理・・・明日は資源回収日だから、不要の衣類をまとめなくては!
 はかどらない整理整頓、整理整頓に追われている。整理整頓をしたつもりの後から積みあげたり、なし崩しにしたりする悪癖が根源。このサイクルが止まらない。

 年を重ねるということは、物は増えるということでもある・・・という実感がひしひし。


 ああ、繰り返される日常、積み重ねられる不要物。
 忘却力が強くなっている昨今ではあるけれど、片づけようとすると、その物に対する思いが甦り、記憶を取り戻す新たなる新鮮さになぜか酔ってしまう。

 甦る記憶には自分を取り戻したような満足が過ぎる。あの日の自分に出会えたような感動・・・思い出すこともなかった記憶の波。(これをばっさり捨て去るなんて)ああ、見ることさえなければ思い出さなかったのに・・・。


 梅雨の晴れ間にやるべき作業は、果して遂行できるだろうか。
 積み重ねられていく思い、記憶は押入れや戸棚の中に温存させておくほうが無難かもしれない。

 梅雨の晴れ間は、外に出て買い物をして、また不要物を・・・ああ、どうすれば・・・。(やっぱり「見ないで捨てる方式」が一番かもしれない)

『ポラーノの広場』5。

2013-06-22 06:39:23 | 宮沢賢治
わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきゐをつけて一疋の山羊を飼ひました。

 馬はバと読んで、場。
 置くはチと読んで、致。
 場所はジョウ・ショと読んで、帖、諸。
 板はバンと読んで、万。
 小さなはショウと読んで、照。
 一疋はイツ・ショと読んで、溢、諸。
 山羊はサン・ヨウと読んで、Sun(太陽)、曜。
 飼ひましたはシと読んで、旨。

☆場(空間)を致(まねく)帖(書付)の諸。
 万(すべて)は照(あまねく光があたる=平等)の溢れる諸の太陽として曜(光り輝く)という旨(考え)である。

『城』1310。

2013-06-22 06:12:22 | カフカ覚書
教師に頭を下げるのは嫌だとおっしゃったけれど、わたしにまかせてくだされば、いやな思いはさせないわ。わたしが自分で先生と話をつけます。あなたは、だまってそばに立っていらっしゃるだけでいいのよ。

 lass・・・そのままにしておく。
 だまって/stumm→stamm/幹、人種。

☆教師(空虚)には面目失墜、狼狽したけれど、わたしにはその心配は大丈夫、わたし自身が話します。あなたは単にそれに近い人種というだけで、自分が望まないなら話す必要はありません。