エリア内のイベントで回るところは限られている。
同じ場所、同じ説明・・・同じだからもう・・・。
参加者は毎回入れ替わることを前提として企画しているのであれば、ある意味当然の事。
季節によって全く異なる様相を見せる植物などはそれなりの感動があるけれど、たとえば地層見学などは劇的な変化は皆無、むしろ何百万年もの間の激変をこの眼で確認するワークショップだから、大地震でもない限りパターンに変化はない。(巨大地震に備えての検証は地道な努力で記録されている)
けれど、わたしは思う。
全く同じものを見て全く同じ感想しかないとしたらそれは眼差しの鈍化である。変化ではなく、気づかなかったものに気づかされるという発見こそが喜びにつながるのだと。
同じ日常の中のささやかな変化、泡のような日常の実在と空虚。
わたしたちは昨日と同じであることに安息を感じているけれど、昨日との差異にも感動している。春夏秋冬、昨日今日・・・今在ることへの感謝と凝視、そして発見こそが生きる糧になると信じている。
変わらないように見える日常に飽きてはならない。なぜなら日常は不思議に満ちているし、今日は何が起きるか分からない真っ白な新しい時間の始まりなのだから。
同じ場所、同じ説明・・・同じだからもう・・・。
参加者は毎回入れ替わることを前提として企画しているのであれば、ある意味当然の事。
季節によって全く異なる様相を見せる植物などはそれなりの感動があるけれど、たとえば地層見学などは劇的な変化は皆無、むしろ何百万年もの間の激変をこの眼で確認するワークショップだから、大地震でもない限りパターンに変化はない。(巨大地震に備えての検証は地道な努力で記録されている)
けれど、わたしは思う。
全く同じものを見て全く同じ感想しかないとしたらそれは眼差しの鈍化である。変化ではなく、気づかなかったものに気づかされるという発見こそが喜びにつながるのだと。
同じ日常の中のささやかな変化、泡のような日常の実在と空虚。
わたしたちは昨日と同じであることに安息を感じているけれど、昨日との差異にも感動している。春夏秋冬、昨日今日・・・今在ることへの感謝と凝視、そして発見こそが生きる糧になると信じている。
変わらないように見える日常に飽きてはならない。なぜなら日常は不思議に満ちているし、今日は何が起きるか分からない真っ白な新しい時間の始まりなのだから。