続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

日常を敬う。

2013-06-08 06:43:24 | 日常
 エリア内のイベントで回るところは限られている。
 同じ場所、同じ説明・・・同じだからもう・・・。

 参加者は毎回入れ替わることを前提として企画しているのであれば、ある意味当然の事。


 季節によって全く異なる様相を見せる植物などはそれなりの感動があるけれど、たとえば地層見学などは劇的な変化は皆無、むしろ何百万年もの間の激変をこの眼で確認するワークショップだから、大地震でもない限りパターンに変化はない。(巨大地震に備えての検証は地道な努力で記録されている)


 けれど、わたしは思う。
 全く同じものを見て全く同じ感想しかないとしたらそれは眼差しの鈍化である。変化ではなく、気づかなかったものに気づかされるという発見こそが喜びにつながるのだと。


 同じ日常の中のささやかな変化、泡のような日常の実在と空虚。
 わたしたちは昨日と同じであることに安息を感じているけれど、昨日との差異にも感動している。春夏秋冬、昨日今日・・・今在ることへの感謝と凝視、そして発見こそが生きる糧になると信じている。

 変わらないように見える日常に飽きてはならない。なぜなら日常は不思議に満ちているし、今日は何が起きるか分からない真っ白な新しい時間の始まりなのだから。

『セロ弾きのゴーシュ』112。

2013-06-08 06:10:47 | 宮沢賢治
 それからあの猫の来たときのやうにまるで怒った象のやうな勢で虎狩りを弾きました。

 猫はビョウと読んで、平。
 来たはキと読んで、鬼。
 怒ったはドと読んで、度。
 象はショウと読んで、招。
 勢はセイと読んで、逝。
 虎狩りはコ・シュと読んで、弧、衆。
 弾きましたはダンと読んで、談。

☆平(平等)である鬼(死者)を度(悟りの世界)に招き、逝(人が死ぬこと)の孤(孤独)な衆(人々)談(はなし)である。


*「君だ、君だ。」ヴァイオリンの一番の人・・・この人は金星です、一番星ですから。それに二いろ、それは金色(金星)と水色(水星)だと思います。
 トランペットはトだから土星、一生懸命歌っている、もしかしたら怒声(土星)だったかもしれません。
 クラリネットもボーボーとそれに手伝っています、って手伝うは加勢(火星)、クラリネットは木製(木星)です。
 
 猫の来たときのように弾いたのは虎狩り・・・印度の虎狩・・・インドラ(雷神)。雷(カミナリ)→神なり。

 楽長(太陽)を丸く囲んだ天空の交響楽は、あの世に逝った人々の心を打ったと思われます。
《みんな平等だ!みんな神なり!》そう叫ぶ賢治の声が聞こえてきそうです。

『城』1296。

2013-06-08 05:52:25 | カフカ覚書
ちなみに、Kがこの宿屋に住みこむようになったのは、亭主がだらしなかったがためにすぎないのであって、ここにおれなくなっても、Kとしてはほかに困ったことはないはずである。だって、けさも、自分はいつでもよろこんで泊めてくれる家があるんだと自慢していたのだから。

 宿屋/Wirtshaushause→Worts hause/言葉、一族。
 泊めてくれる家/Nachtlager→nachen rage/小舟、激怒。
 ほかに/eins andern→ahn ende/先祖、死。

☆それにしても、Kが(言葉による)一族にいるのは、言葉の不注意だったにすぎないのであって、ここにおれなくなっても、Kには何も(問題は)ない、何となれば、先祖の死が待機している小舟に激怒があると思われるからである。