続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

終盤。

2013-06-14 06:44:39 | 日常
 昨日も今日も変わらないけれど、ふと気づけば人生も終盤。

 過去の重さは霧消しているが、それが上り階段であったかといえば確証はない。故に未来(通称老後)が下り坂であるというのも憶測に過ぎない。確かにあらゆる機能に衰えが生じ、物理的にも精神的にも不具合は認めざるを得ない状況である。

《人の寿命は、尽きる日が必ず来る》という前提条件は人を脅かしてあまりある。生きている限り、立ちはだかる壁でもある。


「何を為すべきか」は最大の問いであり、背中を押す要因になっている。
 日々の暮らしは否応なく反復を強いる。

 凡そ取るに足らない茶飯事・・・。

 しかし、これこそが大いなる誤解ではないか。
《昨日のように今日をも過ごす》この平坦さは、むしろ奇跡なのかもしれない。

 積み重ねられていくデータの集積には、見えなかったものを見せる力が潜んでいる。
 終盤の醍醐味はここにある。静かに、密やかにそれを享受する愉しみ。

 終盤にはリミットがあるが、その長さは不確定である。わたしは限りない新しさに眼を見張りながら未知の新世界を求め、終盤という黄昏を歩いていきたいと願っている。

『セロ弾きのゴーシュ』118。

2013-06-14 06:33:07 | 宮沢賢治
「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもこゝではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずゐぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やらうと思へばいつでもやれたぢゃないか、君。」


☆訓(教え導く)を極めるために、翻(作り変える、形を変える)の記の文である。
 逸(隠して)修(おさめる)を、兼ねている。自由な化(形、性質を変えて別のものにする)で、換(入れ替える)詞(言葉)の常。
 自由な化(形、性質を変えて別のものにする)で、全ての釈(意味を解き明かす)謀(計画)であり、蔽/見えないように隠している。
 他意は、詞(言葉)の訓(字句を解釈する)による。

『城』1302。

2013-06-14 05:53:11 | カフカ覚書
 フリーダは、このように話してから、最後にKの首に飛びつかんばかりにして、「いよいよどうにもならなくなったら、この土地を出て行きましょう。なにもこんな村に執着していることはないわ。

 首/Hals→Holle/地獄。
 この土地/Dort・・・来世で。
 出ていく/wandern・・・・放浪する(移動する)。

☆フリーダ(平和)は、ついにKの地獄に叫び声を上げた。「どうにもならなくなったら(本当の死に至らないのなら)、来世を放浪しましょう。(こんな来世に)執着はないわ。