続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

大塚耕二の凄さ。

2013-06-16 08:05:14 | 美術ノート
 俳人・神野沙希の十選の一枚(日経6月13日)に大塚耕二の作品が紹介されていた。

《衝撃》震えが来るほどの感動!

 本来、重力により地上に落ちていなければならないはずの物質(紙)が、蝶という空を飛ぶ機能を有したものの形に切り抜かれることで質的変換を軽々と当たり前のように変身し空に離れ飛んでいくという着想。
 色紙はテーブルの上に針のようなもので止められている。自然の理に更なる抑圧を加えても尚、蝶という観念的な形態は、切り取られるという暗黙の操作の想念だけで、空へ舞い上がっていくのである。

 この不思議な空気は現実ではないが現実を超えた想念の現実として活きている。

 この作品に於けるシュールリアリズムの本質との遭遇に、わたしはしばし声も出ないほどの感動を覚えた。

雨の日は。

2013-06-16 07:39:03 | 日常
 疲れて痛む膝をさすりながら、(これも因果応報、自分の為してきた行いの報いが膝に出ているのではないか・・・ならば、謹んでそれをお受けしよう)という健気な気持ちになることがある。

 でも、加齢では・・・当たり前の現象とも考えられるけれど、数々の思い違い、傲慢(過食、怠惰)過ぎる後悔。
 悔やんでみても仕方がないこと。


 こんな雨降りの日は、どうしようもなく後ろ向きのダークな気分に陥ってしまう。


 雨が明るい透明なブルーだと感じられる魔法をかけてみたい。背後には巨大な太陽の輝きがくすぐったそうに隠れん坊をしている梅雨は、単に太陽がふざけているのだと。否、否、恵みの雨をもたらしてくれているのだと。


 こんな雨降りの日に両手を挙げた巫女の祈りを思い浮かべると、古人の歓喜が聞こえてくる。


 雨の日曜日には静かに縫い物に熱中しながら一日を過ごし、楽しいことだけを考え、脳天気に軽い女のままでいたい。

「セロ弾きのゴーシュ」120。

2013-06-16 07:29:06 | 宮沢賢治
 その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰ってきました。

☆番(かわるがわる行う、組みあわせ)を致(まねく)字の文(文章)。
 鬼(死者)は、雷(神なり)。

*ゴーシュは阿修羅・・・地球の精神としてあの世(死界)から現世(うち)へ帰ってきたのだと思います。あの世とこの世(現世)を行き来する地球の精神です。

『城』1304。

2013-06-16 06:41:30 | カフカ覚書
「そいつは、弱ったな」と、Kは言ったが、本気でそう考えていたわけではなかった。というのは、彼は、住居のことなんかたいして心配していなかったし、それに、この屋根裏部屋は、二面が窓も壁もなく身をきるような寒風が吹きぬけるので、下着のままでは寒くてたまらなかったからである。

 屋根裏部屋/Dachboden・・・覆う、辺り。
 二面/zwei→zwang/強制。
 壁/wand→band/絆、桎梏。
 窓/Fenster・・・蝕(死への入口)
 (非常に)sehhr→Seher/予言者。
 下着/Unterwasch→unterwaschen(unterspulen/川などが土を洗い流す)
 寒い/fror・・・凍結。

☆「不快だ」と、Kは言った。完全に熱心に考えていたわけではなかった。というのは彼は誤って思い込んだことなどなかった、そしてこの辺りの覆いには蝕(死への入口)も絆もなく、ただ冷酷な空気が吹きぬけていたが、予言者がそれを洗い流すことはなかった(凍結)。