続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

六月の仕事。

2013-06-15 06:44:30 | 日常
 六月といえば、梅、ラッキョウの出盛り・・・。

「今年は十三キロも漬けたわ」と、Aさん。
「そんなに漬けてどうするの」と、わたし。
「人に差し上げるのよ」「・・・」

 もう競争のようにして沢山漬ける。自分のためというより、人様に喜んでいただくため。(偉いわぁ)
 Bさんも「重いから二キロずつ買うの、そして出た度に百円ショップでビンも買うの。わたしのラッキョウ漬けを待っていてくれる人がいるから」と言っていた。


 AさんもBさんもここ数年でかなり足腰に衰退を来している、だから・・・もう。
「だから、もう、今年は・・・」Bさんは淋しく笑った、つい先日の事。


 わたしも、ほんの少しずつだけど・・・ただ、一年はまたたく間にやって来る。去年漬けた梅もまだそのまま。
 それでも、梅を漬け、塩ラッキョウも漬け、赤紫蘇ジュースも作り、梅ジュースも、梅ジャムも作った。作った後は、消費しなければ意味がない。それが、追いつかないのである。

 それでも作るって、習性としか言いようがない。ブランド(高価な物)にこだわらない、つまり安価なもので作るので、人様にというのにも気が引ける。


 朝顔の種を蒔き、ゴーヤの苗を植えた。
 ゴーヤは凄まじく伸びつつあり、朝顔も・・・、夏の準備。
 毎年の六月の仕事(いつまで続けられるかしら)、と思いながらそれでも、何とか形になっていることを喜んでいる。

『セロ弾きのゴーシュ』119。

2013-06-15 06:35:20 | 宮沢賢治
 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云ひました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまふからな。」楽長が向ふで云ってゐました。


☆注<書き記す)と現われる律(きまり)は、雷(神なり)という運/めぐりあわせである。
 常に譜(書き記したもの)は、普く二つある。忍ばせた詞(言葉)の絡(つながり)を諜(探る)考えを運/めぐらせている。

*「印度の虎狩り」はインドラ(雷神)・・・「雷に打たれたら、普通の人なら死んでしまう。けれど、ゴーシュ(地球の精神)は強いなぁ」と、楽長(太陽)は言っているということです。

『城』1303。

2013-06-15 06:17:29 | カフカ覚書
でも、あなた、当座は、その申し出をお受けしましょう。先生を連れもどしてきたわ。あなたは先生に、〈引受けた〉とおっしゃればいいのよ。それ以上なにもおっしゃらなくていいの。そして、学校へ引っ越しましょう」

 先生/Lehrer→Leer/空虚。
 学校/Schule→Schuld/義務、罪過、責任。

☆さしあたりその申し出をお受けしましょう。先生〈空虚〉を遡って必要とするわ。あなたは先生〈空虚)に「受け入れられた」と言えばいいの。〈非難されるべき〉責任を移しましょう。