続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

昆虫観察。

2013-06-27 06:40:29 | 日常
 梅雨の最中とはいえ、水曜毎の雨。
 それでも先生は一時間も早く現地に来て探索の手を緩めず集合時刻まであっちかと思えばこっちという風に背中だけを見せていた。同じ場所であっても何十回と重ねて季節や時刻など条件の転移による昆虫の生態を調査しているのかもしれない。

 昆虫・・・わたしの世界には皆無だった関心。

 集合場所に建屋の壁を見て
「丁度あそこに、キリギリスがいます」
(ええっ、あれがキリギリスなの・・・)幼児並のわたし、近くに寄ってしかと観察(ああ、これなら見覚えある、これがキリギリスだったの)と、今さらながら深く心に刻むのも滑稽だったかもしれない。
「藪キリギリスといいます」と先生。(ふうん・・・)

「この白いのはハト虫の幼虫です」(ああ、子供の頃見たあの白い飛ぶヤツね)
「ゾウムシ・・・どんぐりに穴を空けているのを見たら、それはゾウムシの仕業です」
 カメムシ、土壁虫、横エビ、イシノミ、ショウリョウバッタ、クルマバッタもどき・・・。
「ああ、もう大塩からトンボが飛んでいますね」「小クワガタは成虫で冬越しします」
「ヨコバイは葉をひっくり返すと横に移動するので横這いというらしいです」
「紫陽花に穴を空けて喰う虫はハバチ(葉蜂?)です」
「尺取虫はすべて蛾になります」
「普通見かける茶羽根ゴキブリは背の左右に湾曲した黒い線がありますが森茶羽根ゴキブリは真ん中に線があります」

 観音崎の山道、落葉を掻き分けながらの説明、「虫の広場」にはバッタがいっぱい飛び跳ねていて(ああ、もう夏なんだ)としみじみ。

《一寸の虫にも五分の魂》
 わたしは、いわば虫のレベル・・・虫を毛嫌いしちゃいけないかもしれない。

 内舩先生、ありがとうございました。
*写真は松山千春ではありません。

『ポラーノの広場』10。

2013-06-27 06:35:03 | 宮沢賢治
わたくしは賑やかな市の教会の音で眼をさましました。

 賑やかはシンと読んで、真。
 市はシと読んで、死。
 教会はキョウ・カイと読んで、経、皆。
 音はオンと読んで、穏。
 眼はガンと読んで、願。

☆真(まこと)の死は経(常に変わらない)皆、照(普く光があたる=平等)であり、穏やかであることを願う。

『城』1315。

2013-06-27 06:21:26 | カフカ覚書
 彼は、部屋にはいるなり、いそいでストーヴのそばへ行った。教師はそしらぬ顔をしていた。教師は、テーブルのそばに腰をかけていたが、時計をとりだすと、「おそくなってしまいましたな」

 教師/Leher→Leer/空虚。
 ストーヴ/Ofen→offrn/あからさまな、公然たる。
 部屋/Zimmer→Theme/テーマ。
 時計/Uhr・・・寿命。
 テーブル/Tisch→Tiefe/胸奥。
 おそい/spat→spott/嘲笑。

☆彼は、あからさまにテーマ(問題)を促した。教師(空虚、空気)には関係なかったが、胸の奥に(テーマは)あった。寿命をこちらへ引っぱると「笑われましたね」