名前を聞くと年代がそれとなく分かる。
(節子)なんて名前は名乗るのも嫌なくらいで、クラスには必ず同じ名前の人がいたのを覚えている。フルネームにしても診察券などに(同姓同名あり)などと付記されているのを見ると、凡そありふれた名前で世間に埋没しているような感じを抱く。(逆にそのことは救いにもなっていて、この名前の人は【わたしじゃない誰か】という突き放した感情にもなるのである)
それはともかくとして、最近の名前には戸惑うことが多い。
レオナルドダビンチから、レオナちゃんと名づけた知人を始めとして、リーセちゃん、リナちゃん、リボンちゃん・・・多種多様の名前、当て字を前にして首を傾げることは珍しくない。
(ボケ対策として)近所の子供の名前を覚えようとしているけれど、咄嗟に出ない、出てこない。名前としてインプットされていない想定外が多いからである(こちらの記憶力低下もさることながら)。
「ええっと、リ、リ、リーセちゃんでしょ」と、しどろもどろに名前を当てると、
「そう、やっと言えたね」なんて幼稚園児の子から厳しいご指摘。
「じゃ上の名前は何て言うんだ」などと問われ、うーんと目を泳がせていると、
「あ、あ、あ・・・」なんてヒントをくれる。
「ああ、そうだ、」と、答えるわたし。
そこへいくと、わが孫などは清一朗だの、春一朗だの、古式ゆかしい名前・・・。
そういえばわたしたちの年代には「留子」「末子」「留雄」「末吉」なんて、いかにもこれで最後みたいな名前の友達がいたのを思い出す。ちなみにわたしの叔父にも「末男」という名前の人がいたけれど、九人兄姉の八男だった。
名前もそれぞれ・・・妹は「美子」というけれど、名前を書くときの気分や如何に・・・。
(節子)なんて名前は名乗るのも嫌なくらいで、クラスには必ず同じ名前の人がいたのを覚えている。フルネームにしても診察券などに(同姓同名あり)などと付記されているのを見ると、凡そありふれた名前で世間に埋没しているような感じを抱く。(逆にそのことは救いにもなっていて、この名前の人は【わたしじゃない誰か】という突き放した感情にもなるのである)
それはともかくとして、最近の名前には戸惑うことが多い。
レオナルドダビンチから、レオナちゃんと名づけた知人を始めとして、リーセちゃん、リナちゃん、リボンちゃん・・・多種多様の名前、当て字を前にして首を傾げることは珍しくない。
(ボケ対策として)近所の子供の名前を覚えようとしているけれど、咄嗟に出ない、出てこない。名前としてインプットされていない想定外が多いからである(こちらの記憶力低下もさることながら)。
「ええっと、リ、リ、リーセちゃんでしょ」と、しどろもどろに名前を当てると、
「そう、やっと言えたね」なんて幼稚園児の子から厳しいご指摘。
「じゃ上の名前は何て言うんだ」などと問われ、うーんと目を泳がせていると、
「あ、あ、あ・・・」なんてヒントをくれる。
「ああ、そうだ、」と、答えるわたし。
そこへいくと、わが孫などは清一朗だの、春一朗だの、古式ゆかしい名前・・・。
そういえばわたしたちの年代には「留子」「末子」「留雄」「末吉」なんて、いかにもこれで最後みたいな名前の友達がいたのを思い出す。ちなみにわたしの叔父にも「末男」という名前の人がいたけれど、九人兄姉の八男だった。
名前もそれぞれ・・・妹は「美子」というけれど、名前を書くときの気分や如何に・・・。