続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

呆けているかしら。

2013-06-25 07:13:58 | 日常
 街中を歩いていると、不意に声を掛けられたりする。
 驚いて相手を見ると、知人である。昨日会ったばかりのMさん。
「二日続けて出てくるんですか?」といわれ言葉に詰まったわたし。
 
 市内中央方面にあるサークルの教室、わざわざ出かけて行くという距離。翌日は買い物で再び中央方面。別に意識的に外出して来たというより、何となく・・・(これって徘徊?)

 思いがけない所で会うと、なぜかギョッとする。
 昨日も商店街でNさんにばったり、「歩こう会」のメンバー。
「呆け防止に、太鼓を習いに・・・なんか変な先生なんだけど、太鼓を叩いていると呆けないって言うから」と、笑った。

「なんか、このごろ、呆けてきたみたいなの」と、Nさん。
「わたしも・・・だってね、梅酒を造るのに梅酒を入れちゃったの」と、わたし。
「どういうこと?」
「ビンの中に梅を入れるでしょ、それから氷砂糖、そして焼酎。すでに出来上がった梅酒を入れちゃったの、だから今日はアルコール度35度の焼酎を買いにきたわけ」

「ええっ、やだわ。あははは」と、Nさん。
「わたしもね、目的があって出かけたのに、違う道を通ったら、元に戻っちゃったの。変でしょう?」


 確かに変である(二人とも)

 よく街中で笑い合っている高齢のご婦人たちを見かけるけど、やっぱりそれぞれの呆け具合を報告しあっているのかしら。

『ポラーノの広場』8。

2013-06-25 06:49:58 | 宮沢賢治
 またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デスティパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考へてゐるとみんななつかしい青いむかし風の幻燈のやうに思はれます。
 では、わたくしはいくつかの小さなみだしをつけながらしづかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけませう。


☆陽(ひかり)の詞(言葉)は信仰である。
 釈(意味を解き明かす)字の趣(考え)は、太陽の平(平等)であると吐く(言う)。
 詞(言葉)の案(計画)を拠/よりどころとしている。
 釈(意味を解き明かす)と顕らかになる仏の講(話)は、照(普く光があたる=平等)の譜(物事を系統的に書き表したもの)が現われる。
 当てる詞(言葉)が、衝(重要)であるという念(思い)。
 語(ことば)を合わせること、自由に合わせることが、初(物事の起こり)である。

『城』1313。

2013-06-25 06:13:02 | カフカ覚書
それに、あなたは泊まるところがなくても、わたしにはあたたかい部屋で眠れとおっしゃるのでしょう。あなたが夜の寒気のなかをほっつき歩いていらっしゃるとわかっていながら、どうしてわたしだけがぬくぬくと眠っていられるかしら」

 ない/kein→kahn/小舟。
 泊まる/Nachtlager→Nacht rage/闇の、憤怒。
 眠る/Schlafe・・・永眠する。
 部屋/zimmer→Thema/テーマ。

☆もし小舟に漆黒の憤怒を抱いたとしたら、わたしにはあなたの永眠(死)のテーマがこの地(来世)にあると思う。あなたが永眠(死)の外で冷たくあちこちをさまよっているとわかっているのに、どうしてわたし(平和)が、警告させるようなテーマを当地の永眠(死)にできるでしょうか。