続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『空気の平原』

2016-01-02 07:50:17 | 美術ノート

 『空気の平原』、空気(気体)が平原と呼べるような状態に見えることがあるのだろうか。
 見えないものを空気と称している。空気の存在は確認しがたい、存在感の希薄な人を空気のような人と呼ぶことがある。
 空気の存在は見えず聞こえず触れることも適わない。元来、臭いも味もないが、何かの混合物に因り臭気や香気、爽快感などを感じることがある。

 空気の平原・・・有り得ない現象を指しているのかもしれない。
 山頂に聳え立つ肥大化した一葉。
 葉というものは、生命の母体から離れ、死へ不可逆に向かう物体である。すでに枯れゆく運命にある葉が生命を与えられ雄々しく直立しているという《虚偽》の図は、空気が平らに在るという《嘘》に合致する。

 雲に被われた空に覗く少しの青空、上方の左手は暗雲、右手には不思議に明るい白光(白雲)が差している。
 枝から離れた一葉に生育を促す《根》があるはずもなく、地面は石ころだらけの荒れ地である。
 しかし、一すじの光は希望であり、樹は天にも届く存在の支柱(シンボル)である。


 この状況に真実はあるのだろうか。
 母体を持たない《葉》が、尊大にも高い位置に君臨している。
 光源は見えないが、雲に白く光がさしている。

 この画の世界を肯定するのは難しい。明らかに在り得ないねつ造された疑似世界である。

 しかし鑑賞者としては、こういう世界もあるのかもしれないと、受諾してしまう。
 《これこそが、幻想あるいはシュール(超現実)である》と。

 《違う、違う!》とマグリットは叫び、《真実を見抜け》と静かなる告発を試みている。シュールという方法論にマグリットは思索を重ね、真実を凝視しているのだろうか。
 けれど、これもまた、一つの見解に過ぎないかもしれないと考える。真偽の表裏一体…難問の答えを反問しつつ、『空気の平原』という仮説を投げかけている。



(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』185。

2016-01-02 07:25:05 | 宮沢賢治

「もう時間だよ。行かう。」カンパネルラが地図と腕時計とをくらべながら云ひました。

 時間はジ・カンと読んで、字、換。
 行こかうはコウと読んで、講。
 地図はジ・ズと読んで、二、事。
 腕時計はワン・ジ・ケイと読んで、one(一)、字、継。
 云ひましたはウンと読んで、運。


☆字を換(入れ替える)講(はなし)は、二つの事を一つの字に継(つなぐ)運(めぐりあわせ)である。


『城』2190。

2016-01-02 07:16:38 | カフカ覚書

役人のほうからそうはっきり命令が出るのでもなければ、大きな声で口授されるわけでもないのです。口述筆記がおこなわれているのが、ほとんどわからないほどだそうです。役人のほうは、むしろもとのように本を読みつづけているように見えるのですが、それでもやはりなにかもそもそとつぶやいていて、書記がそれを聞いているのです。


☆反抗は、はっきり命令が表明されるのでもなければ、公然と口述筆記をされるのでもありません。口述筆記が行われているのがほとんど分からないほどだそうです。
  反抗の方はむしろ以前のように差別しているように見えるのですが、それでもやはり、単に囁き、書記がそれを聞いているのです


一家勢ぞろい。

2016-01-02 06:51:06 | 日常

 二男が一家五人でやってきて、わが家の壊れたプリンターを新しく設置し直してくれた。(ホッ)
 長男が寿司を買い込んで夕刻遅くなってからやってきたけど、聞けば十連休だったとのこと、もっと早く来て何か足りない作業を手伝う気遣いはないのかと・・・(まぁ、来てくれただけでもと思うことに)

 久しぶりにみんなが顔を揃えてくれ、嬉しい年末・年明けとなった。
 孫のキヨちゃんは、ピアノが上達、ワルツだの何だの両手で弾けるように…自転車にも乗れるようになったし、今春は晴れて一年生に。
 弟のハルちゃんは、おしゃべりになってビックリ。回転・反応が早くて…でも向こう見ず、怪我をしないでね。(「はたらく車」の歌を熱唱)
 三男のケイちゃんは、おっとり。ゆっくり大きくなればいいんだよ。

 みんなを眺め渡して、おばあちゃんとしては元気をもらいました。
「お祖母ちゃんの作るチャーハンは美味しいよ」とハルちゃん、「お祖母ちゃんの作ってくれるものは何でもおいしいよ」と、キヨちゃん…「おばあちゃん大好き」と笑顔の孫たち。(何ていい子たちなんだろう)
 息子たちに向かって「お前たちからは聞いたことのない言葉だね」と言えば、長男が答えて、
「それにはそれの根拠があったんだろう」と。
「・・・」
 孫の父親(二男)がいつも母親(嫁)に謝辞を言っているのを孫たちが聞いているからの言葉だと思う。

 長男は意外にも読書家、人は変わるんだなぁと、つくづく・・・。


 みんな長居することもなく、二晩ほど泊まって帰ってしまった。
(身体に気を付けてね!)母の願いはそれだけ…。(頑張りすぎないでね)