続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三浦三崎『チャッキラコ』

2016-01-16 07:18:23 | 博物館講座

 〔瀬川先生の授業〕

 京急三崎口駅から城ケ島行きのバスに乗り三崎港で下車。

 相州三浦総鎮守海南神社の行事は毎年一月十五日。(ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財)

 本宮で神官の祝詞や地域の役員さんの祝辞の後、四、五歳から十二歳までの女児たちの母親や祖母による唄に合わせた踊りの奉納。
 年の順に赤や黄や茶の揃いの着物と黄色の兵児帯、唄い手は黒色の着物にそれぞれの羽織という出立。
 化粧した少女たちの冠りは桃色の花飾り、手には舞扇とチャッキラコという綾竹を持ち、それぞれの唄(六曲)に合わせて可愛い仕草で拍子を取るという具合。同じ位置で起立したままの舞いですが、輪になって歩を進めていく唄(場面)もありました。

 ちなみに、♪三崎若イ衆にチョイト抱かれたい~♪ なんて歌詞があったり、♪十七が忍ぶ細みち、小袖がからんで忍ばれぬ。この藤をきりりとまるいて重ねて、さ夜明かす~♪ なんて幼子の踊りにしてはちょっと色っぽいかもしれない。

  唄は口伝えゆえ聞き間違えて異なる唄になったり、削除や時節の追加など比較的自由に替えられた部分もあったらしい。聞いていると浮かれ気分になるような唄なのに、ひどく真面目に唄い、無垢な乙女が可愛らしい素振りで踊るという風景に、漁師町の粋というか少々荒っぽい気風を感じた。

 その後、場所を海南神社に移し、再び同じ舞いを奉納するのですが、そのころには関係者も増え、一般の見学者であるわたし達は海を見下ろす崖面に張り付くように見物。

 そこで、隣り合わせた人は何やら忙しく短冊のようなものに書き込んでいたので拝見させていただくと、俳句/吟行である。この光景を、どう一句にまとめたものか仕切に試行錯誤していた。
 そのうち、巡回の人が
「この行事は500年前、室町時時代に始まったんですよ」と、教えてくださり、
「昔は男の子が満月の前日に餅を搗いて奉納したんです。そして翌一五日に女の子の踊りがありました。大漁祈願・商売繁盛の行事で、みんな一緒のお祭りみたいなもんです。
 それに、今はありませんが、船霊さまを造ったりもしましてね、その中には女人の陰毛なんかも入れたんです・・・」
「ふん、ふん・・・」と、聞き耳を立てていたわたし、途中で下の方から集合の合図。

次は三崎昭和館へ移動。(午後は仲崎・竜神様~花暮・竜神様~うらり~西野~花暮~仲崎と廻るらしい)

 時計を見たら11時45分、わたし達はここで解散し、ポカポカ陽気のなか三崎港バス停へ向かった。
 初春の潮風を受けながらの可愛い女児(乙女)たちの舞い。昔から連綿と受け継がれてきた華ある祭りに胸打たれた今回のイベント。
 瀬川先生、稲村先生、ありがとうございました。


『銀河鉄道の夜』199。

2016-01-16 06:49:45 | 宮沢賢治

「そいつはな、雑作ない。さぎといふものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、


☆造(こしらえる)詐(作り事を言う)を展(ひろげ)旋(めぐらせる)。
  詐(つくりごと)の行(ならんだもの)の詞(ことば)を修(ととのえ)詮(明らかにする)。


『城』2204。

2016-01-16 06:30:03 | カフカ覚書

そうこうしているうちに、書記は、机の下に置いてあるたくさんの書類や手紙類の中から、あなたあての手紙をさがしだします。ですから、それは、そのとき書いたばかりの手紙ではないんです。むしろ、封筒の状態から判断すると、非常に古い手紙で、長いこと机の下に放置されていたのです。


☆そのあいだ書記は机の下にある記録や書類をさがしだします。あなたを解放するための先祖の手紙、要するにそれはその時書いたばかりの手紙ではないんです。むしろ評価された預言者の時代で、長いことそこで保存されていたのです。