『ガラスの鍵』
超自然、奇跡の光景である。もし、高山の稜線に巨岩石が鎮座する景色を目撃したなら、卒倒するような衝撃を覚えるに違いない。
落下を予期し、落下する衝撃を想像するからである。
「なぜ?」を問う。
この光景を受け入れるためには、《神秘≒神》を介在させる必要があるかもしれない。有り得ない現象をあり得ると認識するためには、蓄積されたデーター、つまり観念を打ち消さねばならない。
否定の上の肯定である。
物理的に非合理な現象も、精神的には許されている。この狭間に存在するものは見えない。見えないことによって在ると換言してもいいかもしれない。
この山の上に置かれた巨岩石には《力/エネルギー》が潜んでいるので、暴力的なまでの落下の想像は見る人を震撼とさせる。怖れに拮抗する懇願、人智を超越した祈りの領域が見る者を支配する。
この驚愕の光景は現実離れしている、故に現実ではない可能性が高い。この光景は想像の産物であれば、世界は遮断されている。この光景の扉を開けるのは見えない鍵である。
マグリットの至高の神秘(祈り)を開ける鍵は、シンデレラのガラスの靴のように、ぴったり合致するものは時に見えないガラスの鍵、唯一思考の精神的な鍵だけである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)