仰向けに床に寝そべる少女は、折り曲げた膝の上に蝉らしき昆虫を乗せ、両者の吐く息を一つにさせている。(蝉は狼/犬であるスケッチも)
どういう意図なのだろう。人類と蝉(あるいは狼/犬)の共通項は、生物・有機体・動物…どちらも呼吸をするものであり、同じ空気を吸って生存を持続させている。
同じ波動・粒子の光の中、その大気を生命の源としている仲間である。性的関係にあるような属ではないが、同じ時空に生き、まったく等しい空気振動の渦中に生を確認している。
人も昆虫(狼/犬)も♂♀があり、生殖の連鎖で同じ個体を作りだすものである。そして、この作品の放つエロスは、生きるものの性という抗うすべのない宿命的なものを感じさせるような気がする。
少女の膝に乗るの飛翔体でもある蝉の組み合わせは、強者(人類)と弱者(昆虫)であるが、ここでは《無抵抗の少女と逃げることのない巨大化された蝉》というように逆転し、あたかも均衡を保つ関係のようである。
生きとし生きるものの平等である関係。弱肉強食を常とする社会の構図を沈黙のうちに否定している。
生の根源・・・等しく生きるものとしての、優しさの主張である。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)