《地表面の耐久性について》
大地の平穏、ずっとこの地表面は変わらず、わたし達の生活を支えてくれる基盤であると信じて疑わない。〈そうであって欲しい〉と願わざるを得ない。
〈そうでないかもしれない〉という一抹の不安・・・《地球は活動している》という事実は、歴史をさえ塗り替えてきた。ポンペイの遺跡、幻のような街が地下に眠る・・・時空の沈下は誰も予想が出来ない。
世界(生活)を支える地表面は動いている、という不穏な物理的現象。
〈地面が動くなんて!〉〈有り得ないでしょう〉
揺れ・激震・崩壊はあり得る事実である。なぜなら原始地球は高温高圧、火山噴火を繰り返しながら生物の誕生を光合成により果たしたのであれば、その活動の連鎖が今に続いているのはむしろ当たり前の事実なのだから。
動きを止めないプレートの上に地表面があるのであれば、人智をもって対抗出来うるあらゆる手段を思考錯誤しても、いかに頑強なボルトで固定しても・・・そのようなものでしかない。作品に見る地表面から半円上に連鎖し盛り上がっているものは、地下に潜むエネルギーの具象化ではないか。
圧を加える人智はキューブの山積として置換されている。
《地表面の耐久性につて》、作品はいかにも頑強に造られ、それは地下深くまで掘り込んであるという。それをもってしても叶わない地表面の宿命。
作家は地下を思い、地表面の耐久性について深く思いを馳せたに違いない。地表面は永遠不滅ではなく、地表面は危うさを常に抱えている。
慟哭にも似た哀愁が作品の影に隠れている、そんな気がしてならない。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
その一つのあかりに黒い甲虫がとまってその影が大きく天井にうつってゐたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしさうにわらひながら、ジョバンニやカンパネルラのやうすを見てゐました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かはるがはる窓の外から光りました。
☆逸(かくれていること)を告げる講(はなし)を注(書き記す)営(仕事をする)。
代(変っていく)転(物事が移りかわる)を整え、釈(意味を解き明かす)図りごとが現れる。
鬼(死者)の赦(罪や過ちを許す)総てを詮(明らかにする)双(二つ)の我意の講(はなし)である。
しかし、最後には、バルナバスだって、仕事がもらえる。これまでにも、ぼくに手紙を二通もってきてくれましたからね」
☆しかしながら、終にはバルナバス(生死の転換点)にだって、命令が下ります。強制的な手紙をわたし自身すでに必要としましたから。