『ラミナグロビス』
線路の上の猫の絵である。
猫だけを見ていれば違和感はないが、周囲の景色、例えば線路に対して猫は巨大に過ぎる。ほぼ列車に匹敵する大きさが想定される。
これは何を意味し、何を告発したかったのだろう。
巨大な猫、これは脅威であり化け物である。走りくる列車に相当する巨大さは怪獣であるより他ない。
対象物と周囲の景色は、遠近法により正しく視野に収められる。しかし、多少でもそこに差異を生じた場合、恐怖に匹敵する空間の錯誤が生じてしまう。
二つの対象(風景と猫)は、正しく描写されても、そこに時空の厳密な一致がない限り、幻想と化してしまう。そこには現実は存在せず、仮に厳密な一致を想定しても一つの時空における厳密性には対抗できない。(風景の中に空想の人物を描きいれる困難さは経験があると思う)
しかし、そこには未知の幻想空間としての有り得ない異世界への誘いが生じる。
マグリットの謎解きの一端である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
向ふの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のやうでした。
☆交ぜて抱(心に抱く)双(二つ)が現れる也。
現れる源は等(平等)である。
(もっとも、わたしたちは、それまでソルティーニという人の顔をまったく知らなかったのですけれど)ついにラーゼマンが父に、〈あれがソルティーニだ〉とささやきました。(わたしは、ちょうどそばに立っていたのです)。父は深々とお辞儀をし、あわてたような様子でわたしたちにもお辞儀をするようにと合図をしました。
☆ラーゼマン(読む人)が父に〈あれが来世の太陽だ〉とささやきました。わたしはそのそばに立っていたのです。父(先祖)は深々と身をかがめ、先祖の象徴としてわたしたちも身をかがめました。