明らかに衰退しているわが機能。
昨日は絵を描こうとして白いペンキを購入したものの、さっぱりその気になれず、このペンキをそのままにしていても・・・と、結局二階のベランダの床面を白く塗装することにした。
5月の強い日差しを浴びながらの作業、(このくらいなら軽いわ)と思っていたのに、終了したら階下に降りれないほど目が見えない。
光の中から急に暗部に入ったのだから当たり前なのだと言い聞かせ、ようようキッチンにたどり着いた。
ホッとしたのもつかの間、周囲が赤く染まっている。東・南・西の三面の窓やガラス戸が透き通った紅色!
ダメだ、どうしても回りが赤く見える。このままになったらどうしたらいいんだ~。狼狽えること数分。
目をつむり胸の鼓動を抑えて、静かに目を開けた。
(戻った、普通に見える!)
普通に見えることが、こんなに嬉しいなんて!
最近どうも目の具合が悪い。眼科見てもらっても「白内障でも緑内障でもありません。眼精疲労でしょうね」との診断。
裁縫・編み物・パソコン・・・こんなに便利な目をダメにしてしまったら元も子もない。
ああ・・・。
『誓言』
何に対しての誓言なのだろう。
巨きな石化したリンゴが岩場に支えられてあり、彼方には赤い夕陽(太陽)が海面を染めている。
水平線が目の高さであるから人はリンゴに比して相当小さい。つまりリンゴは見上げるほどの大きいということで、有り得ない光景である。リンゴに象徴される生命や知恵の形骸化ということだろうか。
人を悠に超えるほど大きく高く発展した人類の功績も、海の砂粒を数えるほどの歳月を経たなら絶滅は免れないのではないか。
神に誓った誓言も空しく最期を迎える。
永遠と思われる太陽も何時か滅びの時を迎えざるを得ない。まして『誓言』など・・・時は止まらない。しかし、時という概念さえもリンゴという象徴の中のアイデアに過ぎないのかもしれない。
『誓言』神や相手に固く約束することの儚さ。それでも『誓言』は時空の果てで石化し残存するだろうか・・・マグリットの反問である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「どうもありがたう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云ひました。
☆律(決まり)を把(つかむと)蔽(見えなかった)果(結末)の照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)が、現れてくるようの運(めぐらせている)。
〈この子は、ソルティーニにぞっこん惚れこんでしまったんだ〉と、ブルーンスヴィックは断言しました。ブルーンスヴィックという人は、いつもすこしがさつで、アマーリアのような人柄にたいしては全然理解力がないのですが、このときだけは、彼の意見がほぼ正しいようにおもえました。
☆彼女は不合理にもソルティーニにこいしてしまったんだ、とブルーンスヴィックは言いました。彼は何しろ地球で自然(自然の理)でしたから、アマーリア(マリア/伝説)には少しも理解を持ちませんでしたが、この点の彼の意見は非常に正しいと思いました。