『生の発明』
曇天、そして平原、緑の前には一人の人がいる。男女の識別が困難な人であるが、仮に男であるとすれば、その前に白い布で覆われた中身は女(あるいは男)かもしれない。頭部を思わせるトップの形状や肩の位置などから人を想起させる誘因を与えている。
『生の発明』、生は海から発生したと言われている。酸素が増えたことで生物が増殖し、人類にまで至った由。自然発生的な経由から知的生命体としての人が誕生したと思われる。
発明なんてことがあるだろうか。
主なる神は土のちりで人を作り、命の息をその鼻に吹きいれられた。(略)主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。(『創世記』より)
生は発明不可である。クローンという発明はあるが、生の根源・原初の発明ではない。
ただ物理的に無理な難題も、精神界では可能である。
地平は決して球体などではなく、(中央の木の実を食べたことで善悪を知るものとなり、(略)命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない。『創世記』より)
生の連鎖によって、人はその生命をつないでいる。
『生の発明』という不明な事象を信じるか否かは、白い布で覆われた物体が人であるか否かを想定するのと似ている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
姉はわらって眼をさましましまぶしさうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。
☆詞(言葉)が含む霊(死者の魂)の衆(人々)は幻(まぼろし)である。
平(平等)な果(結末)が現れる。
わたしが読みおわるやいなや、あの子は、ちらりとわたしを見てから、また手紙を上にあげましたが、もうそれを読もうとしないで、いきなり小さく引裂いて、その紙きれを窓の外の男の顔に投げつけ、ぴしゃりと窓をしめてしまいました。
☆読みおえるやいなや、アマーリアはわたしをちょっと見て、それを上にあげましたが、読むことなくずたずたに小片にして投げてしまいました。
外の男は幻影であり、閉ざされた(天)食→死の入口にいたのです。