続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

単調な日々だけど。

2016-05-28 07:40:27 | 日常

 一週間はあっという間に過ぎ、あっという間に五月も終盤である。
《あっ》という刹那に凝縮されてしまう時間の経過、〈あ~あ〉とため息をついている。

 何だか分からないうちに《おばあちゃん》になってしまった。
 無事にあの世に逝けたら、それでいいのかな・・・。

 人生の総決算は?
 まだまだこれから悲運が手を広げて待っているかもしれない。

 それでも答えは一つ、すべてを肯定的に生きる!
 悲運の嵐に見舞われても、にっこり胸を張って生きていける人でありたい。
 
《がんばれ、がんばれ、わたし》


マグリット『桟敷席』

2016-05-28 07:00:50 | 美術ノート

 『桟敷席』
 桟敷席の中には椅子に腰かけこちらを向いた双頭の女性と劇場を見る少女の後ろ姿がある。床は波打つような板状であり、部屋全体は茶系で明るさはないが天板だけは明るめのグレーの彩色、そして女性と少女は明度の高い彩色になっている。
 劇場内の壁が白く明るく見える。しかし観劇の場合、舞台だけが明るくライトアップされるのであって、向かい側の壁(観客席)が明るいのは違和感がある。

 桟敷席、いったい何を見ているのだろう。舞台では何か演奏してるようにも見えるが、少女が見下ろしているのは隔絶された世界のような気がする。

 双頭の女性・・・これは一人の女の分解であり、少女はこの女性の分身ではないか。長い髪の少女に対し座る女性にはそれがないことからも、魂の分解の具象化を疑うことができる。
 床が波打つように描かれているのは不安定を暗示し、浮遊の霊魂が現世という舞台を覗き見ている設定なのではないかと推測する。

 双頭の女性には辺りを窺うような緊張感がある。(漫画的手法の双頭、〈右見て左見て〉のような気もする)
 ここ(天上)では現世(下界)を見下ろすことはタブーなのではないか。少女の暴挙を、母なる魂が守り、辺りを警戒している。そんな寂寞と不安と期待感が交錯する空間である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』324。

2016-05-28 06:18:08 | 宮沢賢治

「からすでない。みんなかささぎだ。」カンパネルラがまた何気なく叱るやうに叫びましたので、ジョバンニはまた思はず笑ひ、女の子はきまり悪そうにしました。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)の記である。
 悉(ことごとく)経(仏の教え)が隠れている。
 照(甘えく光が当たる=平等)を叙べる詞(ことば)は、和(争いを納める)。


『城』2329。

2016-05-28 06:04:11 | カフカ覚書

わたしたちは、あとでこの手紙を解釈して、ソルティーニはたぶんすぐにお城へ帰るつもりでいたのだけれど、アマーリアのことがあったので村に残ることにした、ところが、夜になってもアマーリアのことを忘れ去ることができなかったので、翌朝腹だちまぎれにこの手紙を書いたのだろうと、と考えることにしました。


☆わたしたちは後に正しく解釈してソルティーニ(太陽)はたぶん終末(死界)へいくつもりだったけれど、アマーリア(月)のことがあったのでそこに留まることにした。ところが夜になってもアマーリア(月)のことを忘れることができなかったので、翌朝には怒りに満ちたこの書き物を書いたのだと考えました。