夏帽子を木綿糸で編んだら、その手が止まらず、三枚も作ってしまった。(目が急速に悪くなっているのに)
昔、「ニューヨーカー」(短編集)という本に、編み物を生涯編み続けた結果、その編み物で自分を包みくるむまで編み続けて死んでいった女の話があった。
寂しい孤独な人生だと胸にズシンときたのを覚えているけれど、今まさに自分がその状態に近い(笑)。
『人間の条件』
窓外の景色が画布に描かれており、それは外の景色に連鎖しているように描かれている。
窓外の景色が画布に描かれた景色に一致し、眺望が連続のつながりを示すなどということはあり得ない。
しかし、あり得るかに描くことは可能である。
つまり人間の脳裏は自由に開放されており、思い描くこと=イメージはいかようにも許可されている。
人間と他の動物の脳裏を切り裂き、実証することは不可能であるが、それを二次的に表現する術は人間をおいて他の動物には見られない。
見たものを複写する以上に見えることが及ぼす思考の回路を提示し、具体的に秘密を暴く策がここにある。
見えている光景と描かれた光景の不一致は必然的な結果であることの逆説的な証明である。
偶然と必然、肯定と否定…人は思いを巡らせ表現を構築する。即ち『人間の条件』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集まってぼおっと青白い霧のやう、そこからかまたはもっと向ふからときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のやうなものが、かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。
☆野(そのまま)に現れる衆(人たち)の償(つぐない)の魄(たましい)である。
刑(罪をただして罰する)が、漏れること(秘密が世間に知られる)は、掩(覆い隠されている)。
結(物事の締めくくり)の教(仏のおしえ)である。
しかし、ソルティーニは、わたしたちのことを気にもとめていませんでした。これは、ソルティーニだけの特徴ではなく、たいていのお役人は、公衆のまえへ出ると、なにか無関心そうに見えます。それに、ソルティーニは、疲れていて、職業柄しかたなしにこんなところにいるんだという様子でした。
☆ソルティーニはわたしたちを苦しめようとはしませんでした。これはソルティーニ固有なのではなく、たいていの官吏は世間の前では無関心に見えます。彼に悪意があるわけではなく、職務上の義務としてここにいるだけのようでした。