『即自的イメージ』
よく見ると、テーブルの上のテーブルではないか。
木目の面が床だとしたら、壁にあるべき角線がないことや白いテーブルが当然ぶつかる位置関係にあること、そしてその影が壁に反映していなくてはならない。これらの点から、この木目状の面はテーブルであるという可能性が高い。
ガラスカバーの中に収められた一枚の額絵にはブルーチーズが描かれているが、生でない食べられないチーズの絵にカバーは不必要である。
論理の上の論理、重ねて庇護したものの正体は偽物であり、すべては空論に帰すということのイメージ図である。
確かに存在している。
しかし、無に等しいという徒労の結末、因果関係が存在しないのである。
ここに人の姿はないが、明らかに人が介在している。人の行為(精神)の空虚/離脱、意味の欠如という内的不在を描き、『即自的イメージ』としたのだと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
じつにそのすきとほった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。
☆記(書きとどめる)霊(死者の魂)は、普く仁王(仏法の守護神)である。
城を代表するこういう晴れがましい義務をとくに重荷だと感じるからといって、程度の悪いお役人だとはかぎりませんし、なかには、こうして村におりてきた以上は当然のことですから、村の人たちと交歓していらっしゃるお役人や従僕もおられました。
☆苦しいからと言って体面を繕うだけの劣った官吏というわけではありません。他の官吏や役人にはすでに先祖の汚点の存在する民族と混ざっていることもあったのです。