雨風が激しいという警報が出ているとのことで、本日の「歩こう会」は中止との電話連絡。
「歩こう会」に参加させてもらっているけれど、ぎりぎりである。やっとの態・・・でも、退会すれば、もっとみじめな毎日が待っているような気がして躊躇っている。
中止の連絡を受けてホッとしているわたしの体たらくが寂しい。
地層見学会でも「近日中にほかの断層を見るイベントがあります」などと言われても(今日がやっとなのに、)と、元気よく手を挙げられない。
こんな風に年を取っていくのだと悲観していると、「わたしなんか5街道を歩いたわよ」といい、「生命の星博物館の会員でもあるの」という人もいる。同じ年代でも大きな落差があり、羨望の念を隠せない。
それでも何とか覇気のない自分を叱咤激励し、自分を辛うじて動かしている。
「頑張れ、がんばれ、元気出して歩け!」と。
『不穏な天気』
それぞれ白いトルソ・チューバ・イスの三点が、平穏な海と青空の中に描かれている光景である。
確かに全体はブルーの彩色で占められているが、海岸(岸壁)は岩礁というより岩だらけであり、臨む山々も黒もしくはモノトーンで精彩を欠いた風景である。
一見すると《青と白》の色調は清々しく映り、不穏さは感じられない。
ただこの宙に浮く三つのものを読み解くと、
白いのトルソは、憧憬、性欲。
白いチューバは、主張、命令。
白い椅子は、地位、権威。
などを各暗示、仄めかしている。
白く浮かぶ雲に被せた妄想は深層を揺らす。波一つない平穏な情景に潜む不穏の予兆。
清明な空気が漂う情景も、心理の眼鏡を通せば屈折した光景が浮上する。生きることは、《煩悩に迷い、自分の主張と社会の規定との亀裂を抱え、地位に固執し権威に打ちのめされる》という穏やかならぬ状況に在るということかもしれない。
空と海とは限りなく青く、浮かぶ妄想は純白であることにマグリットのペーソスが隠れている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。
「さあ、向ふの坊ちゃんがた、いかゞですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといはれたのですこししゃくにさはってゐましたがカンパネルラは
☆化(形、性質を変えて別のものになる)で、解(問題をとく)。
照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)が逸(隠れている)。
法(法の教え)を兼ねた講(話)を謀(計画し)、課(割り当てている)。
わたしたちが何人も並んでいるのにうんざりして、ため息でもついているような眼つきでしたが、やがてその視線は、アマーリアのところでぴたりと釘づけになりました。ソルティーニはアマーリアを見あげなくてはなりませんでした。アマーリアのほうが、ずっと背が高かったのです。
☆その時、アマーリア(伝説/月)の傍らに眼をとめました。ソルティーニ(冥府の太陽)はアマーリアを見上げなくてはなりませんでした。彼女の方が死界では崇高だったからです。