続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

すぐ疲れる。

2016-05-22 07:38:34 | 日常

 先日、よく眠ると書いたけど、考えてみると単に疲れやすいだけである。すぐぐったりと意気消沈、ポテンと寝てしまう。健康というより身体が虚弱なせいで、大したこともしていないのに寝てばかりの体たらくな日常であるに過ぎない。

 好奇心というより、すぐ飛びつく癖・・・書店でレース糸とビーズで作るアクセサリーの本を見て、その気になったわたし。
 本はもちろん、ビーズとレース糸を購入。試作を繰り返しているけど難易度が高い。
 無揃いである。(これでは・・・)

 今朝起きたら眼が真っ赤。
 ああ・・・劣化真っ最中の目を酷使するなんて!

 がっかりなわたし。
 挑戦するなんて無理?

 (寝るほど楽があればこそ浮世のバカは起きて働く)って、祖母の口癖だったらしい。技師だった祖父が休日には忙しく布団干しやら掃除をしていたと聞いている。祖父は早くに他界したけど祖母は70歳過ぎまで健在。
 煩わしいことは考えないで眠りこけることが一番かもしれない。


マグリット『彼岸』

2016-05-22 06:55:39 | 美術ノート

 『彼岸』
 お墓と地平、そして天空の遥か彼方にある太陽。

 それっきりの作品であり、それだけに遮るものなく墓と太陽が直線で結ばれている世界である。

 《墓=死》肉体を失った魂は果たして在るのだろうか。決して断じて答えを見いだせない問いに人は思いを重ねる。
 隔絶された世界、異空間は見ることはできない。しかし想像することは可能である。

 愛しい人の死、二度と会えない人の所在は地の果てにさえも見いだせない。巡るということのない断ち切られた断絶は永遠の神秘である。

 探した果ての、ずっと向こう、太陽よりもずっと遥かな向こう。
 指針の太陽は存在の軸である。

 (墓=死)と(太陽=生の源)を結ぶ一本の線条を仰ぎ見るとき、人はその神秘に震撼とするのではないだろうか。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2323。

2016-05-22 06:23:39 | カフカ覚書

これが、あの決定的な朝でした。わたしは、決定的な朝などと申しましたが、じつは、前日の午後のすべての瞬間も、おなじように決定的だったのです」


☆これがあの決定的な身元不明者(モルグ)の死体公示所です。わたしは前述の正しく小舟と同じように、どの瞬間も、決定的だったのです。