ブログの『7人家族の真ん中で』を見せてもらっている。
その中で、入院中の義母を見舞った際、ファッジさんが聞いた会話がすごい。
四人部屋のカーテン越しに聞こえた「助けて、何々さ~ん」という叫び声を聞いて覗いてみると、どうやら睡眠時の寝言。この患者さんもギボ子さん(義母)同様、高齢の認知を疑われる方。
その声に、やはり熟睡中の義母の叫びが・・・
「頑張ってください」「あともう少しの辛抱です!」という反応。
二人とも眠っている。けれど、一方で
「助けて下さい!」といい、
「頑張ってください、あと少しの辛抱です!」と叫び返す。
魂の呼応ともいうべき会話の痛みに、切なくて胸がいっぱいになってしまった。
『ヘーゲルの休日』
雨傘の上に水の入ったコップがある。背景は薄いオレンジ色のベタ。
陸地と海は、7:3の関係だと言われている。
傘は地球の陸地であり水は大気圏内の水量だと仮定すると、この関係は過去にも未来にも一定である。一定であるが常に変化している。
わが水地球は水なしには考えることはできず、水と傘(地上)は一体であるが、混合し完全に同一体になることはあり得ない。水は水であり、傘は傘としてしか存在理由を見いだせないからである。質的にも融合は不可能であるが、地球を離れた任意の点から眺めたならば、水(海や湖や雲)と傘(陸地)は一つの風景でしかない。
コップの水はやがて傘の上を濡らす。跳ね返すが吸収されるかもしれない。当然こぼれた水は元には戻らない、自然の理である。
しかし、その自然の理は地球という傘の上では覆されてしまう。水は三態をもって巡回し続け、一定の水量を保持し続けるからである。
この矛盾をヘーゲルならばどう愉しむだろう。マグリットの差し出した提議である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「おや、どっから来たのですか。立派ですねぇ。こゝらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんたうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかゝへられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れたやうにながめてゐました。
☆記の律を破り蔽(見えないように隠す)化(形、性質を変えて別のものになる)章(文章)の念(考え)であり、等(平等)の願いが主である。
霊(死者の魂)の趣(考え)は逸(隠れている)。
標(目印)の化(形、性質を変えて別のものになる)は、願いを済(たすける)須(必要な)の謀(計画)である。
そういうわけで、あの人がわたしたちに気づいたのは、こちらが気づいたのは、こちらが気づいたよりもあとになってからでした。わたしたちがうやうやしくお辞儀をし、父がお詫びの言葉を述べようとしたときにやっと、あの人は、わたしたちのほうを見、順番にわたしたちの顔をひとりずつ疲れたような眼つきでながめました。
☆そういうわけで、彼が来たことに気づいたのはわたしたちよりもなお遅かったのです。わたしたちが尊敬に満ちた態度で身をかがめ(お辞儀をし)父(先祖)はわたしたちを束ね弁護したのです。彼は先祖の無実を見て、疲れたように嘆息をつき、そして先祖は第二の存在をそばに置いたのです。