大した労働もしていないのだから、睡眠時間を削ってなにか他のことに使いたいと思う。けれど、思うだけで実行されないのは、よく眠るからである。
本を枕元に置いても…背表紙だけ見、すぐに睡魔に襲われるわたしは本を寝床に運ぶ習慣は皆無である。
なんでこんなによく眠るのだろう、恨めしく思うが、眠れない人の意見を聞くとかなり辛いらしい。
床の入ると、すぐ眠ってしまい、時間(人生)を損しているような気分でいるけれど、所詮自分はこの程度の軽薄な人間なのだと諦めるしかないのかもしれない。
あれもしたい!これもしたい!でも時間は限られている。
(思い通りにいかないのが人生)と割り切ってしまえば、眠りすぎる時間を惜しむなんて笑止。
不完全燃焼・・・まぁ、いいか。
『悪い奴ほどよく眠る』、馬鹿ほどよく眠るのかもしれない。
《シンメトリーの策略》
裸の下半身の左右に白い布で覆われた物体が置かれている。生身の裸身には肩から上がなく(つまりは腕もない)、切断面は白い布で覆われている。
手がかりは陰部・臀部・太ももだけであり、膝から下も不明である。
男根を描かないことで女と決めつけるのは早急かもしれず、太ももや胸の薄さを見ると男のようでもある。
この裸身に欠けている部分を探し、左右にある白布に被われた物体にそれを求めるのは自然の成り行きではないか。
男か女か・・・若干の差異はあるが、ほぼ同じ形状であり、当然のごとく下半身の上体を想像せざるをえない。
何物であるか不明であるにもかかわらず、描かれた条件から想像の範囲を狭めていく。
白布で覆われている物体は見えない。つまり情報/ヒントはゼロである。
しかし、無から有を引き出す感覚は、観念的な情報処理によらざるをえず、この場合は人間という肉体条件の欠如部分を当てはめようという欲求に大方は逆らうことが出来ない。
限られた条件の中で接合部分を想起する、右か左かの選択。
選択しようという心理作用、即ち『シンメトリーの策略』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「その苹果がそこにあります。このをぢさんにいたゞいたのですよ。」青年が云ひました。
「ありがたうをぢさん、おや、かほるねえさんはまだねてるねぇ、ぼくおこしてやらう。ねえさん、ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
☆平(平等)な果(結末)。
照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)を運(めぐらせている)。
文面は、簡単なもので、アマーリアは、すでにそれを読みおわって、だらりと下に垂れた手に持っていました。こういう疲れきったような様子をしていると、わたした、いつもあの子がとてもいとおしくなるのです。で、あの子のそばにしゃがみこんで、手紙を読みました。
☆アマーリアの持っている書き物は簡潔で、すでに読んでおり、活気なくしたい傾いている国(団体)を支えていました。わたしたちは彼女がいつも大変苦労している様子に好意を持ちました。わたしは、ひざまずき、その書き物を読んだのです。