『夏』
なぜ夏なのか、確かに積雲は夏に多く見られる雲の形ではあるけれど、夏に限ったものではない。
集合住宅のビルの窓々は閉じられカーテンも引かれている、夏(猛暑)を感じさせる景が描かれていないにもかかわらず『夏』という命名。そして、象徴である旗が、青空に散在する雲(積雲)であることも奇妙である。
数多の窓には相応の人の存在があるはずであるが、閉じられた窓からはその気配を感じない。不在、あるいは沈黙だろうか。
旗に象徴される変幻の雲は自由にその様相を変える、予想の付かない雲の行方。
窓と窓が近いということは窮屈な個別空間を思わせる。
夏は開放的な季節であるにもかかわらず、閉鎖的な空気が漂っている。
旗は人々の想いの象徴であるとするならば、夏雲に見る自由を掲げたのではないか。
画一的、同質化された状況、社会的制約などの息苦しさからの解放を希求した旗印こそが、等しく象徴される夏の解放感だったのだと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)