続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ゴミ当番。

2017-06-05 07:32:27 | 日常

 ゴミ集積場の清掃は、義務であり、みんなで守るべき約束である。
 当然みんなその役を果たしているけれど、出してはいけない日時やカラスよけの網を無視して放置していく人の出現に、ゴミの巡回ノートには不満や怒りが記されている。

 ゴミくらいで…いえ、いえ、風の強い日などは巻き散るゴミに周辺は惨状と化すことも。

 そういうことが連続してあると、警告文が張られる。
 にもかかわらず、そういう行為が続行されると、犯人探しが始まる。不法行為を止めない、小さな愉快犯とも思える行為を追う。あるゴミ当番さんは夜中にまで目を光らせて、とうとう深夜二時半、その人影を目撃したけど、結局怖くて声を出せなかったとのこと。

 心の闇・・・。
 追い詰めずに、その行為を止めさせることはできるだろうか。
 今週わたしはそのゴミ当番だけど、(まぁ、許しちゃうね、きっと)
 きれいに清掃して、いつかを待つよ。運命共同体だもの。


デュシャン『チョコレート粉砕機』①

2017-06-05 06:58:06 | 美術ノート

 『チョコレート粉砕機』

 このチョコレート粉砕機、カタログ(実物)と見比べると、異なることは明らかである。
 土台が華奢だし、チョコレートの出入の経路もない。
 ただ、粉砕するであろうローラーが三つ組み合わされているだけで、中央が持ち上がり用を成さない角度である。
 むしろ「これはチョコレート粉砕機ではありません」というもの。生産プロセスの欠如、役に立たない無用の長物であることは点検するまでもなく明白である。
 いかにも粉砕を成すような三つのローラーは上下の円盤と連動しているように見えるが接続は不明であり、支える猫足は滑稽なまでに貧弱である。

 第一、この作動不可能な物は、床面に着地しているのだろうか、きわめて怪しい。背景のベタは現実の空間を隠ぺいし、重さを感じるが宙に浮いているようでもあるという不思議な対象物である。
 それを『チョコレート粉砕機』と名付ける妙。タイトルと作品の間に漂う不信感、肯かざるを得ない作家からの圧力、そして鑑賞者の反発。

 デュシャンは、《点Aと点Bの間にできるABという線条》の仮象を鑑賞者に強いている。「見えないものを見よ」という指令である。もちろん答えは解放されている。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『城』2658。

2017-06-05 06:22:23 | カフカ覚書

もっとも、あの使者は、ソルティーニの従僕で、ソルティーニは、その後村へ来なくなりましたが、お城の人たちは、よく従僕を交換するのです。


☆なるほど、あの先祖はソルティーニ(負債・義務)の死で、ソルティーニはその後、来世へ来なくなりましたが、(死へ向かう)大群(大勢の人たち)は、たびたび死を変更するのです。