続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『折れた腕の前に』

2017-06-22 06:51:41 | 美術ノート

 『折れた腕の前に』

 持ち手の軸がシャベルの中央でなく右に寄っているのが気にかかる。レディ・メイドであれば肯くしかないが、均等に力が入らない限り不具合が生じ破損に至るのではないか。

 折れた腕を持つ人の前にこの雪かきシャベルは無用の長物である。
〈使用される物〉と〈使用する者〉は対等の関係にあり、一方に不具合(折れた腕)があれば、その関係は成り立たない。
〈使用される物〉は〈使用する者〉の支配下にあるように錯覚しているが、欠損はその効用を無に帰し、関係は断たれてしまう。

 折れた腕の前にある雪かきシャベルは、(折れた腕の人)の幻を立たせ、そのとき雪かきシャベルは、タイトルとの関係において初めて意味を失うのである。タイトルがなければ(有用な雪かきシャベル)であるものを、タイトルによって(無用の雪かきシャベル)に変容されている。

 タイトルが対象の目的を変化させ、見えない人(幻)を立たせる。
 言葉が状況を演出させ、幻惑の空想を呼ぶ。そして見えない景色を見せるが、しかし無為徒労に帰す虚無感に導くという仕掛けである。
 在るように見えるが、無いのである。

(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『城』2673。

2017-06-22 06:25:31 | カフカ覚書

それに、父は、何度も縉紳館へ出かけては、そこで夜をあかしたりしたために、もしかするとわたしにたいすう同情がそれに輪をかけたのかもしれないのですが(もっとも、父にまだ同情心を起す力がのこっているかぎりにおいてのことですけれども)


☆それに父は何度もハロー(死の入口)に出かけ、来世に泊まり込みました。多分わたしを思い(それだけの力がまだあればの話ですが)