『泉』
一日数回はお世話になる便器、生活の要であるが、そのことは忘れたいほどに無を喚起させる。排尿…体内の不必要な汚れを排出するための受け入れ口。
美しさとは無縁であり、やむなく仕方なく対面しなくてはならない便器という存在。少なからず嫌悪さえ抱きかねない便器に対する感情。
しかし、耽美に値する『泉』というタイトルをつけている。
もの悲しくも必要不可欠な存在に対する相反するような感情の対立を内包した便器。
生理的な排除(排泄)に愛おしい感情は湧かないが、愛すべき身体の生理的な必然である。
大いなる矛盾が背中合わせに一体化した便器に、デュシャンは生命の秘密を見たのではないか。
秘密裏に行われる排泄という行為の尊厳と卑猥。
地球の億年を巡回する《水》は生命の源であり、湧き出る泉の水も排尿もその循環の一刹那である。
清水と汚水の定めは繰り返し長い旅に出るが、本質においては少しも変わらない。長い旅の一つの停留所としての便器を、しかと「ご覧あれ」というわけである。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
雪童子らは、めいめい自分の狼をつれて、はじめてお互い挨拶しました。
☆説(話)を導く詞は字で部(区分けする)。
漏れる語(言葉)の間から察する。
わたしは、従僕たちを通じてお城とのつながりがあるだけでなく、あるいはつぎのような可能性もあるかもしれないし、また、それに期待をかけているのです。
☆わたしは死人たちを通じてお城(本当の死)とのつながりがあるだけでなく、死の入口でもあるのです。