続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

梅の季節。

2017-06-18 07:44:26 | 日常

 八百屋さんの店先には梅が一キロづつ透明な袋に入って並べられている。
 梅を見ると、たとえ体調に不具合があっても、どうしても買い求めたくなる。今年はほんの少し…梅酒用一キロ、梅干し用一キロを買うに留めた。

 一年経つのは早い。去年の梅酒は梅が入ったまま収納棚に眠っていたし、梅干しも手付かずのまま・・・。
 生活に活気がないせいだろうか。時間が止まったままのような日常。
 それでも去年は、ラッキョウも漬けたし、梅ジュースも紫蘇ジュースも作ったことを思い出した。今年は…季節の方が通り過ぎてしまうかもしれない。

 今朝は雨こそ降っていないが曇り空、梅雨らしい天気である。
 梅の季節の香り…意気地のないことを言ってないで、頑張れ!と、自分を叱っている。


デュシャン『3つの停止原基』④

2017-06-18 07:09:08 | 美術ノート

 『3つの停止原基』

 3つである必然性は不確定であるが、この提示そのものが《デュシャン自身》であるとするならば、3つは〈誕生〉〈生〉〈死〉という現象ではないか。それらはまったくの偶然・奇跡の往路であり、復路は決して無い不可逆の線条である.3つの板状の上にある円形の穴は3つに等しく開けられており、一つに括られる暗示だと思う。

 この3つ(停止原基)の物の傍らに置かれた箱は、収納を意味していると思うが、長さはともかく不必要なほどの高さ(深さ)がある。3枚の仕切り版が設置されているが、手あるいは腕を下ろせない幅である。
 収納というより入れたが最後、取り出し不能な箱であり、留め金にも不備がある。つまり完全に閉めることはできず、開閉は自由であるが、取り出し不可能な箱である。
〈誕生〉〈生〉〈死〉まで、ガラス板ゆえ見渡せる構造の箱・・・すなわち、人の一生を収納する《棺》の暗示、プランかもしれない。

『3つの停止原基』は、わたくし(デュシャン)であり、他の誰かの基準になる物ではありません。(原基に非ず)という真意であります。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『水仙月の四日』69。

2017-06-18 06:51:08 | 宮沢賢治

こどもは力もつきて、もう起きあがらうとはしませんでした。雪童子は笑ひながら、手をのばして、その赤い毛布を上からすつかりっけてやりました。


☆力(精神力/努力)の記、説(はなし)が導く詞(言葉)は照(あまねく光が当たる=平等)の趣(考え)である。
 積(つみ重なる)亡(死)は、普く照(平等)である。


『城』2670。

2017-06-18 06:38:13 | カフカ覚書

わたしたちは、あの朝の使者をいままでのところまだ見つけだしていません。彼は、彼を非常に高く買っているソルティーニにいまでも仕えているそうで、ソルティーニがさらに遠くの官房へ引っこんだとき、いっしょについていったということです。


☆わたしたちは虚構の小舟をまだ見つけ出していません。死の義務は常にあります。
 彼を非常に高いと評価しているソルティーニが、さらに遠くの秘書局へ引っ込んだとき、ついていったということです。