『秘められたる音』
音は見えない。したがってこの作品の中に音があると言われれば、あるかもしれないし、耳を澄ましても聞こえなければ音はないという認識である。
秘められたる・・・無いように見えるが、実は有るという、否、有るかもしれないという範疇である。
つまり、見えない対象の実証は、確認が困難である。
ネジ留めされ真鍮板で挟まれた紐の玉、見えないのはこの紐の玉の内部だけであれば、ここに音源があるに違いないと察するが、静止した物から音は出ない。物体の振動が空気を振動させ伝わる波が音であり、真鍮板で押さえつけられた接触面の摩擦も静止状態では音を発しない。
『秘められたる音』というタイトルは、《有るかもしれないし、無いかもしれない》という観察者の心理の揺れを惹き起こし、作品との関係性を問うものである。観察者と作品の間に流れる《無の対話》こそ、物理的に聞こえない音を奏でる精神界でのエネルギー交流(振動)に他ならない。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
そして、風と雪と、ぼさぼさの灰のやうな雪のなかで。ほんたうに日は暮れ雪は夜ぢゆう降つて降つて降つたのです。
☆二つの説(話)は解(部分部分に分かれるように)運(めぐらせている)。
化(形、性質を変えて別のものになる)の簿(ノート)を接(つなぐ)也。
恒(常に変わらない)幸(幸福)の講(話)である。
ことによると、あなたは、たいしたつながりがあったもんだ、と考えていらっさるかもしれません。お考えの通り、たいしたつながりではありません。
☆ことによると、多分、そうだと思います。先祖と大きなつながりがあるかもしれません。でも先祖とのつながりはないというのが本当なのです。