平塚市美術館で開催されている『リアルのゆくえ』展、入場するなり空気感が違う。
作品と鑑賞者の心理的距離が近い。平素見慣れた対象が、そのように描かれていることへの共感。しかし凝視すると対象への執拗なまでの執着が見えてくる。
凝視の果ての心理は作家ごとに異なるけれど、究極、《真実という核心》に迫るための活動であると思われる。写実は、そのための道であり方法である。
心象と対象の一致点を目指すのは困難であるに違いないし、技量に欠ければ諦めざるを得ない領域でもある。
岸田劉生の《麗子像》を見ていると、写実を超えた妖気が迫ってくる。幼女の無邪気ではなく本質的な業、存在の所以が単なる美(可愛らしさ)を凌駕している。
《この小さな幼女の魂でさえも…》という冷徹な眼差しである。
高島屋十郎の《蠟燭》は、写実を通した心理的な揺らぎを感じる。不可逆な時空の一点を凝縮し、つかみ取るのだという殺法である。
長谷川潾二郎の《猫》二つに分けた色面(視覚的に等しい)の真ん中に横たわり安らぐ猫、攻防なく眠る態である。
《調和・安寧・平和》の象徴を憧憬する眼差しがある。
他にも沢山の写実の迫真、ありがとうございました。
企画者はこうした作品が異端という領域にあることを危惧しているけれど、普遍の真理を貫徹する意思は王道だと思います。