少しづつ、まさに薄紙を剥がすように左足の浮腫が退き始めている。
6月8日の初診から飲み始めたイグザレルト錠の確かな効力。ほっといても治ると一日延ばしに伸ばした結果、歩行困難に陥りクリニックへ、「ここでは無理」と紹介された総合病院で《エコノミー症候群》とのご指摘。
確かに一日中同じ姿勢で動かない生活、めったに外出しない隠遁が身体にいいわけがない。
「歩いてください、運動してください」と、医師。
「はい」返事が遅くなりましたが、今、痛感しております。この外出嫌いが修正されるとは思えませんが、努力したいと…思っています。
今朝は100%ではないけれど、やっと・・・快調。
つくづく70才になっていて良かった、医療費が3割から2割、これって大きい。病気よりも薬代の減額に喜んでいる〇ビなわたし。
『秘められたる音』
ネジ留めされた真鍮板で挟まれた紐の玉、頑丈に上下から抑えつけられ中空に位置している。保護と拘束が重なるイメージであるが、四方の脇は解放されており、取り出し(脱出)は自由である。
重い抑圧をイメージさせる上下二枚の真鍮板は、紐の玉を束縛するような関係ではなく、単に隣接しているにすぎない。
閉じるように見えるが、開かれている。
『秘められたる音』、見えない音の音源はどこにあるのだろう。明らかに静止し見えている物体から音を感じることはない、とすれば紐の玉の中、見えない暗所に秘められたる音源を特定するしかない。
《有るかもしれないし、無いかもしれない》秘められている…人に見せないように隠しているということである。
全体、12.9×13×11.4㎝の比較的小さな物体は、鑑賞者の視覚にすっぽり収まる大きさである。どこにも隠れようがないほどの小さな個体(存在)。しかし、この中に『秘められたる音』があるという。
即ち、これはデュシャン自身の精神であり、どこからも誰からも見えている、チッポケなわたくしではあるけれど、秘められたる音(主義主張)を隠しています。
聞こえますか?聞こえる人もいるかもしれませんが、あくまでわたくしはそれ(音)を隠しております。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
やつと夜明けに近いころ、雪婆んごはも一度、南から北へまつすぐに馳せながら云ひました。
☆余(わたくし)は、冥(死者の世界)の魂の説(話)の場を逸(隠して)図っている。
難(災い/苦しみ)から北(逃れる)質(内容)を運(めぐらせている)。
わたしは、いまではたくさんの従僕たち、この二年間にお城から村へお見えになったほとんどすべての人たちの従僕を知っています。いつかわたしがお城へ出かけていくようなことがあっっとしても、知らないところへ迷いこんだというようなことにはならないでしょう。
☆わたしは、つまり倒れた死人たち、荒涼としたすべての大群、年ごとに村(死の入口)へきた人たちをわたしは知っています。いつか城(本当の死)に来るべき来世は外国ではないのです。