続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『折れた腕の前に』②

2017-06-23 06:51:33 | 美術ノート

 『折れた腕の前に』

 この雪かきシャベル、どう見てもおかしい。レディ・メイドという観点から不信を抑えようとするけど、やはり不具合は明白である。
 持ち手の軸はシャベルの中央に位置しなければならないし、シャベル(鉄に亜鉛メッキ)に付いた軸(木製)が、細い角柱では折れ易い。軸には頑強なネジ止めが見えるがシャベルとの接着面にはそれが見当たらない。持ち手の金属部分の曲がり具合(135度)にも疑問が残るし、シャベルの両脇には多少の壁(?)があるのが一般的である。
 これはこのように意図して造ったレディ・メイドであるに違いない。

 雪かきシャベルとして微妙に不合理な造形は、シャベルとして使用し続けることが困難であり、木製の軸はいずれ《折れる》可能性を孕んでいる。
 折れた腕の前にある雪かきシャベルは、いずれ折れる時間を孕んでいる。
 折れた腕、というのは当然それ(雪かきシャベル)を使用する人の腕であり、折れた腕の(人)の前にあるシャベルということだと理解する。
 タイトルは見えない(非存在)の人を想起させ、その関係性を問うている。

(不具合のある)雪かきシャベル vs 折れた腕を持つ人は対等であるが、どちらにも不具合があり、使用不可の無為に通じる。
 この哀しい空気、役に立たないことの無言の悲痛…存在しているが意味を見いだせない関係。

 デュシャンは常に無に帰すサークルに嘆息している。存在(有)を通して、非存在(無)を見つめている。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『水仙月の四日』73。

2017-06-23 06:41:32 | 宮沢賢治

「さあ、しつかり、今日は夜の二時までやすみなしだよ。ここらは水仙月の四日なんだから、やすんぢやいけない。さあ、降らしておくれ。ひゆう、ひゆうひゆう、ひゆひゆう。」


☆教(神仏のおしえ)は実(まこと)也。
 字は弐(二つ)を推しはかる。潜(ひそむもの)と合わせ、詞(ことば)を化(形、性質を変えて別のものになる)で考える。


『城』2674。

2017-06-23 06:24:02 | カフカ覚書

ついに最後のとどめを刺されるようあ気の毒な結果になってしまいました。父は、もうほとんど二年近くまえから、さっきごらんになったとおりの容態です。それでも、どうやら母よりも父の容態のほうがmだいいのです。わたしたちは、毎日母の最期を待っているありさまです。その母の命がまだもっているのは、まったくアマーリアのたいへんな努力のおかげです。


☆突然の厳しい強制だとわかります。このような事情は父(宿命)より母(気分)の方が当たっています。アマーリア(伝説)のおかげで、超人的な感謝が続いているのです。