『チョコレート粉砕機』
この粉砕機、中心に向かうべきローラーはすべて外側へ傾いており、これでは何も粉砕できない。
危ういバランスであるにもかかわらず、上からの円板は抑えているように見えるだけで脆弱であり、機能は期待できない。
下の台は面積は三つのローラーが乗るほどには大きいが、支える足は細い猫足であり、今しも押しつぶされる予感がある。
幾つかの円形によって回転のイメージを想起させるが、空転・崩壊は免れない構成であり、一見鈍重にみえる形態には緊張感(危機感)が内包されている。
つまり、何ら生産性のない仮想の器具である。継続のない瞬間的な集合は、息を詰めるような緊張感を孕んでいる。しかし、内実はあたかも動ぜず泰然と本当にこういう物が存在するのだという虚偽の報告である。
絵図によってしか存在しない物、非存在物を存在物として描いている超現実的な作品であるにも関わらず、存在物の写生のような錯覚を抱かせるところにデュシャンの意図がある。
虚実・存在の有無に、まるで隙間があるかのように入り込んでいく姿勢、思索の感性こそがデュシャン自身である。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
空もいつかすつかり霽れて、桔梗いろの天球には、いちめんの星座がまたたきました。
☆句(言葉)の済(救い)は、吉(良いこと)の教(神仏のおしえ)を展げ、究(つきつめる)。照(あまねく光が当たる=平等)の座(場所)である。
おまけに、わたしは、そういう約束があの人たちにとってなんの意味ももっていないことをとっくに経験ずみでした。けれども、いちばん大事なのは、そういうことではありません。
☆すでにこのような期待は少ないと聞き知っていました。けれど、重要なことは、全くそういうことではありません。