続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お手紙。

2017-06-20 07:29:43 | 日常

 近所の女の子たちに一度ならず二度三度と紙芝居を見てもらっている。
「ありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
「おばさん、じょうずだね」とお褒めの言葉。(舞い上がっちゃうよ)

 しばらくするとチャイムが鳴ったので出て見るとさっきの女の子。近くにいて名前も知らなかったけどRちゃんLちゃん・・・。
 差し出されたのはお手紙。

 いつもかみしばいをよんでくれてありがとうございます。
 かみしばいはとても大好きなのですごく楽しみです。
 わたしはてがきじゃないと思ったけどてがきで、すごくびっくりしました。すごい絵上手ですね!かみしばいが好きなのできんじょにかみしばいをよんでくれるひとがいてうれしいです。いつも本当にありがとうございます。
 また、かみしばいよんでください。
 楽しみにしています!

 なんて嬉しいお手紙。

 お手紙、ありがとう。また頑張っちゃうから、よろしくね!(既製品に混ぜた自作、印刷と手描き分かっちゃうんだね)


デュシャン『3つの停止原基』⑥

2017-06-20 06:41:20 | 美術ノート

 『3つの停止原基』

 この箱の蓋の上面が写真では不明だけれど、蓋の裏面にあるネジ止め三か所の位置を見ると、首を傾げたくなる。果たしてどんな持ち手が付いているのだろう。バランスに疑問があり、力学的に見て力が最小になる位置ではない。
 要するに、持ち上げられない造りである。もっとも失笑すべき留め具の不備を見れば、持ち上げるに足りない造りであることは明白である。つまり開閉自由であり、箱の内部は解放されているということである。

 この箱に収められるべく置かれた『3つの停止原基』である3本の木製版。すべて糸が描く曲線に沿って削られた細長い木製版は、言うまでもなく《偶然》の象徴であり、3つの《現象》の具現化である。
 この各現象を納めるべく用意された(人知の巧と人知の軽薄)が混在しているこの箱は、一族のルーツと言ったが、宇宙原理という深さをも孕んでいる。

《偶然》と《必然》が一つの箱に集約され収められる《存在》という現象への究明である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)