続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)幼子の。

2021-08-03 07:08:05 | 飯島晴子

   幼子の肌着をかへる夏落葉

 幼子はヨウ・シと読んで、妖、姿。
 肌着をかへる(肌着変)はキ・ジャク・ヘンと読んで、姫、惹、偏。
 夏落葉はカ・ラク・ヨウと読んで、化、落、様。
☆妖(あでやかな)姿の姫は惹きつける。
 偏(ひとえ)に化(ばけること)で落(出来上がる)様(ありさま)である。

 幼子はヨウ・シと読んで、要、思。
 肌着をかへる(肌着変)はキ・チャク・ヘンと読んで、企、着、変。
 夏落葉はカ・ラク・ヨウと読んで、歌、絡、容。
☆要の思いを企て、着(行きつく)変(普通と違っている)歌の絡(筋道)を容(おさめている)。

 幼子はヨウ・シと読んで、踊、始。
 肌着をかへる(肌着変)はキ・ジャク・ヘンと読んで、喜、若、返。
 夏落葉はカ・ラク・ヨウと読んで、華、楽、要。
☆踊りを始めた喜びで若返る。
 華やかな楽しみは要(重要)である。

 幼子はヨウ・シと読んで、庸、子。
 肌着をかへる(肌着変)はキ・ジャク・ヘンと読んで、規、惹、変。
 夏落葉はカ・ラク・ヨウと読んで、化、絡、容。
☆庸(つね)に子規に惹かれるのは、変化のある絡(筋道)を容(収めているから)である。


D『自転車の車輪』

2021-08-03 06:29:43 | 美術ノート

   『自転車の車輪』

 美しいともいえるバランスであり、黒と白は一種、墓標のような孤立の態である。

 人は有用性を求め、不要なものは排除する傾向にある。これは明らかに機能性を失している。椅子という有用、車輪という機能を併せることで無用の長物と化している。
 人為的に不要を作り出す滑稽、無意味の景を作り出す熱意はどこからきているのだろう。
《存在・有用・意味、しかるべき在るものへの反逆》反逆というより《解放》かもしれない。こうすればこうなるという順当な仕組みを外している。車輪は椅子の上で【点】を支えに倒立しており、危うい形・状況であるが、あえてそれを固定し作品として提示している。指でほんの一突きすれば崩れるに違いないバランスである。

 もちろん、その危うさ(バランス)に意味はなく、ただ任意の組み合わせにすぎないが、この作品を前に鑑賞者は息を殺して見入り、また静かすぎる歩みで作品から離れていくだろう。倒壊の危機を孕む形に対する畏敬の念、神など信仰の対象でもなく、ただ恐れるのである。存在の裏に潜む危機感、今在るものが突然消えて無くなる、消失、崩壊は平穏に見える日常を脅かしている。

『自転車の車輪』は、すべての人に対する《警鐘》である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『インディアンになりたい願い』

2021-08-03 06:12:25 | カフカ覚書

   『インディアンになりたい願』(異訳)

 もし終わり(死)になったらすぐに覚悟して、小さな門まで走り、斜めに空を切って震える大地の上で小さく震え始める、奮い立つことはやめた。終わり(死)に奮い立つことなんで要らないのだから。侮蔑的な小舟の拘束も地位階級もなく進路は滑らかな落ち着いた小さな森で、すでに門の支えも門の頭部もなかった。