続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)黒い手を。

2021-08-17 07:16:05 | 飯島晴子

   黒い手をいつぱい放ち葡萄の丘

 黒い手はコク・シュと読んで、哭、衆。
 いつぱいに放ち(一杯放)はイツ・ハイ・ホウと読んで、溢、輩、飽。
 葡萄の丘はホ・トウ・キュウと読んで、哺、党、救。
☆哭(大声で泣き悲しむ)衆(人々)が溢れている。
 輩(列をなして並んでいる)に、飽(腹いっぱいの食べ物)を哺(口に含ませる)党(仲間)の救(救済)があった。

 黒い手はコク・シュと読んで、穀、種。
 いつぱいに放ち(一杯放)はイツ・ハイ・ホウと読んで、何時、配、法。
 葡萄の丘はブ・トウ・キュウと読んで、部、等、給。
☆穀(米や豆)の種(種をまくのは)何時か。
 配(割り当てる)法(方法)は部(区分けして)等しく給(世話をする)。

 黒い手はコク・シュと読んで、告、趣。
 いつぱいに放ち(一杯放)はイツ・ハイ・ホウと読んで、逸、肺、抱。
 葡萄の丘はホ・トウ・キュウと読んで、保、統、究。
☆告げる趣(ねらい)は逸(隠れている)。
 肺(心の中)に抱え、保(持ち続けるもの)を統(一すじにまとめ)究(つきつめる)。

 黒い手はコク・シュと読んで、国、手。
 いつぱい放ち(一杯放)はイツ・ハイ・ホウと読んで、逸、負、報。
 葡萄の丘はホ・トウ・キュウと読んで、保、討、究。
☆国手(囲碁の名人)は逸(優れている)。
 敗報(負けたという知らせ)を保(持ち続け)討究(多角的、多方面から深く研究する)。


D『秘められたる音』3。

2021-08-17 06:55:15 | 美術ノート

『秘められたる音』というものは存在するだろうか、音は証拠を残さない。
 無である。物体の振動が空気を振動させて伝わる波であれば、実体、目に見える形跡はない。

 無いものを、ネジ留めされた真鍮版で挟まれた紐の玉を提示し、ここに《有る、隠してある》と暗示をかけている。しかし、ここにあるとは一言も言っていない。秘められているのだから、見えないところにあるのだろうという一方的な思いを誘導しているだけである。
 動かない物体からは音は発生しない。

 無と有の間、それは知覚されたデータによって推しはかる幻(架空)の時空に他ならない。見えない音という媒体を通して存在の如何を問う、大きな命題を孕んだ問いの前で、震撼とデュシャンに尊敬の念を抱く。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』8。

2021-08-17 06:21:42 | 宮沢賢治

《時間について》
第一夜・三毛猫、夜中も過ぎて・・・。
第二夜・くゎくこう、十二時は間もなく過ぎ一時も過ぎ二時を過ぎても・・・そして   
 東のそらがぼうっと銀いろになって…。
第三夜・狸、夜中すぎまでセロを弾いて・・・そしておしまひまで来たときは今夜も 
 また東がぼうと明るくなってゐました。「あ、夜が明けたぞ。」
第四夜・野ねずみ、明け方近く思はずつかれて…ゴーシュはねどこへどっかり倒れてす      
 ぐぐうぐうねむってしまひました。

 三毛猫が来たのは二十日過ぎの月のひかり、そして四夜。クライマックス(公会堂のホールでの演奏会)は、《それから六日目の晩》でした。
 と、時間の流れを追っている。