続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)さるすべり。

2021-08-20 07:19:32 | 飯島晴子

   さるすべりしろばなちらす夢違ひ

 さるすべり(百日紅)はヒャク・ジツ・コウと読んで、百、実、稿。
 しろばなちらす(白花散)はハク・カ・サンと読んで、博、可、三。
 夢違ひはム・イと読んで、謀、異。
☆百(沢山)の実(内容)の稿(下書き)は博(大きく広がっている)。
 可(よいと認める)三つの謀(はかりごと)の異(別のもの)がある。

 さるすべり(百日紅)はヒャク・ジツ・コウと読んで、秘鑰、昵、考。
 しろばなちらす(白花散)はハク・カ・サンと読んで、白、化、散。
 夢違ひはム・イと読んで、務、為。
☆秘鑰(秘密を解明する鍵)に昵(近づく)考えを白(申し上げる)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)や散(バラバラにする)務めを為すことである。

 さるすべる(百日紅)はヒャク・ジツ・コウと読んで、飛躍、実、講。
 しろばなちらす(白花散)はハク・カ・サンと読んで、迫、果、算。
 夢違ひはム・イと読んで、夢、意。
☆飛躍の実(中身)に迫るには、果(思い切って)算(見当をつけ)夢(空想する)意(考え)である。


D『秘められたる音』5。

2021-08-20 06:49:31 | 美術ノート

 この作品の凄さを思うと言葉が出ない。
 言葉と物、存在と非存在、それら隙間を覗く試作であり、探求の鍵が潜んでいる。   

 秘められたる鍵は想念の深い淵に沈んでおり、見えず聞こえず触れることもかなわない。
《無》は存在するだろうか。
 音は明らかに存在である。音波として捉えられその高低も定かである。しかし、音は音として存在するのではなく他から働きかけられることにより発生する空気振動である。他、何かが動くことで発生する現象であり、何かが停止すれば即、《無》に帰してしまう。つまり永続はなく、つねに主体ではなく従属である。
 音は跡形もなく消えるが、想像のなかを生きている。人は知覚し記憶している。ゆえにこの作品『秘められたる音』というタイトルを見れば、音の生じていない作品に《音》を感じ想像しうるのである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』11。

2021-08-20 06:20:32 | 宮沢賢治

「ぼくらならどんな意気地のないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と言うかっこう。
 猫は月の化身(夢)、かっこうは《死にゆく人》ではないか。

 どうも弾けば弾くほどくゎくこうの方がいゝやうな気がするのでした。
 ゴーシュ(地球の精神)が、人間に感動している、「人間、すごいぜ!」と。

「何だ、硝子へばかだなあ。」ゴーシュはあわてて窓をあけようとしましたが元来この窓はそんなにいつでもするする開く窓ではありませんでした。

 現世から冥府へ逝く仕切りの窓〈元来この窓はそんなにするする開く窓ではない〉そういう境界である。
 くゎくこうが窓の向こうへ出ようと格闘する場面は悲しい、すごいシーンである。