続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)葡萄園。

2021-08-06 07:12:41 | 飯島晴子

   葡萄園ひとつの痣に日の当る

 葡萄園はブ・トウ・エンと読んで、豊、桃、艶。
 ひとつの痣は(一痣)はイツ・シと読んで、何時、旨。
 日の当るはジツ・トウと読んで、実、問う。
☆豊かな桃は艶(なまめかしい)。
 何時まで旨(味が良いのか)実(中身)を問う。

 葡萄園はブ・トウ・エンと読んで、分、答、演。
 ひとつの痣(一痣)はイチ・シと読んで、一、詞。
 日の当るはジツ・トウと読んで、実、等。
☆分かれる答えを演べる。
 一(ひとつにまとまったもの)の詞(言葉)の実(内容)は透(すけて見える)。

 葡萄園ハブ・トウ・エンと読んで、部、棟、縁。
 ひとつの痣(一痣)はイツ・シと読んで、五、支。
 日の当るはジツ・トウと読んで、実、等。
☆部(区分けする)棟(建物)の縁(ふち)は五つに支(分かれている)が、実(中)は等しい。

 ひとつの痣(一痣)はイツ・シと読んで、一、子。
 日の当るはニチ・トウと読んで、日、当。
☆葡萄園、一子(一人の子供)に日(陽)が当たっている。


D『罠』

2021-08-06 06:41:50 | 美術ノート

   『罠』

 木製コート掛け、本来壁にあるものであるが、床に固定されているという。
 絶対、絶対にあるはずのない物が、フラットな床にあたかも障害物として設置されている、この愚かしさ。

 かつて作品は美しい物、感動を呼ぶものとして壁に掛けられていた。然るべき位置は概ね目の高さであり、それよりもずっと下、あるいはずっと上はない。木製コート掛けも然り、設置されるべき場所は決まっている。
 使用目的、人の日常的な動きによって、位置は確定される。木製コート掛けを床に置く必然性は皆無であり、床に設置されるという偶然は決して有り得ない。

 デュシャンは、決して無い状況を常に探している。決して無い状況は必然性をより強調、思い起こさせる。人の生活における必然を突き詰めて考え、そうあるべきであるという結論に風穴を開けようと凝視している。反目というよりは並べて同じ傾向を打破する、針の孔のような主張を提示している。
 異端は正論ではないのか。
 矛盾というのでもないとすれば、同列に置く資格はなくもない。しかし、不要、障害は存在しうるという主張は気づき難い。

 床に固定されて噴飯物の『罠』(木製コート掛け)は静かに問いかけている。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』2。

2021-08-06 06:17:31 | 宮沢賢治

 ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしてゐました。
 トランペットは一生懸命歌ってゐます。
 ヴァイオリンも二いろ風のやうに鳴ってゐます。
 クラリネットもボーボーとそれに手伝ってゐます。


☆昼過ぎ、こちらでは見えないけど、みんな一生懸命練習している?!
 トランペットはトだから土星。
 ヴァイオリンの二いろって、水色と金色。(水星・金星)
 クラリネットは木製(木星)、ボーボーは燃えるイメージから火星。
 ゴーシュは地球だから、太陽に近い六つの星が第六交響曲(田園)を練習しているなんて壮大でステキな夢想です。