続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

百歳万歳!

2021-08-26 07:44:52 | 日常

 近所のKさんは百歳である。いつも元気で彼女に会うと元気をもらう。
 犬の散歩で急に走り出した犬に気づかず転倒した時も「今日は、うまく転べたよ」とにっこり。
 二人で買い物に出かけた時も「あんた重そうだね、持ってあげようか」と年上のKさんに気遣われたこともある。(彼女は80代わたしは50代)
「ちょっとそこまで」というので付いて行ったら、こちらはくたくた・・・豆の蔓を延ばすのに細い竹が要るとのことで、スリッパを脱ぎ捨てて藪の中へ果敢にも入って行った時の驚き(だって、90才にも近いころの話)

息子さんを見かけたので「お母さんお元気ですか?」と挨拶をしたら、「はい、元気にしています。デイサービスで送られドアの中に入っても、ヘルパーさんが帰る車の前まで再び出てきて手を振るんですよ」という。
 そしてこの9月にはめでたく101歳になるとのこと。
「毎日ね、毎日喧嘩していますよ、大きな声で」と笑った。

 それから去年、入院中に院内感染でコロナにかかったという、コロナも恐れをなして逃げたのかも。スゴイよ、Kさん。百歳万歳! Kさん万歳!


『飯島晴子』(私的解釈)男らや。

2021-08-26 07:23:42 | 飯島晴子

   男らや真冬の琴をかき鳴らし

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、談、盗。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、侵、謄、禁。
 かき鳴らし(掻鳴)はソウ・メイと読んで、送、命。
☆談(話)を盗んで侵し、謄(書き写すこと)は禁(タブー)である。
 送(みおくる)と、命(申しつける)。

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、団、豆。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、浸、淘、均。
 かき鳴らし(搔鳴)はソウ・メイと読んで、燥、命。
☆団(まるい)豆を浸(水にひたし)淘(より分ける)。
 均(ならして)燥(乾かすように)命(申しつける)。
※中身のない豆は浮く。

 男ら(男等)はナン・トウと読んで、楠、倒。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、慎、等、緊。
 かき鳴らし(搔鳴)はソウ・メイと読んで、左右、明。
☆楠(くすのき)を倒す。
 慎(過ちのないように気をつける)等(など)、緊(気を引き締めて)左右を明らかにする(確認する)。


D『旅行者用折り畳み品』

2021-08-26 07:02:53 | 美術ノート

   『旅行者用折り畳み品』
 レディ・メイド:アンダーウッド社タイプライターのカバー

 カバーである、本体ではない。
 では本体は旅行者用の何かなのか、それともカバー自体が旅行者用に必要なのか。
 旅行者用という言葉自体が不特定で曖昧である。
  在宅では不要な物なのか、旅行者用に便利? なるべく荷は軽くしたい旅行者にとってカバーはむしろ不要であるはず。

『旅行者用折り畳み品』に意味や目的を捜すのは困難である。提示された難問を凝視するが、答えが出ない。つまり《空》である。
《無》に対して、名づけられた仮称の重さを測りかねる事態に陥る。

 名づけられた物は、名づけられた物に等しいという鉄則がある。しかし、想像の域を出ない架空のものに対してその質量を推しはかることはできない。
 ゆえに、名づけられた物は必ずしも名づけられた物に一致しないという《例外の領域》を認めるべきだという主張がここにはある。


『セロ弾きのゴーシュ』15。

2021-08-26 06:13:59 | 宮沢賢治

「先生、この児があんばいがわるくて死にさうでございます・・・
「おれが医者などやれるもんか。」
「先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなほしておいでになるではありませんか。」

 セロ弾きのゴーシュは、セロ→ゼロ→O(O₂)酸素ひきのゴーシュである。酸素は生命の要、酸素のおかげで地球上の生物は生存を果たしている。酸素濃度を上げることが生命維持、病気回復につながっていく。

「はい、からだ中とても血のまはりがよくなって大へんいゝ気持ちですぐに療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」

「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」と、ねずものおっかさん。
「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」と(ゴーシュは)ききました。

 食べ物を与える→feed、
 それ(パン)をくはえてこどもさきに立てて外へ出ていきました。(帰る)→back、・・・feed backは再生である。