続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)人の去る。

2021-08-19 07:28:38 | 飯島晴子

   人の去るひかり真夏の椿の樹

 人の去るひかり(人去光)はジン・キョ・コウと読んで、尽、挙、講。
 真夏はシン・カと読んで、芯、化。
 椿の樹はチン・キと読んで、珍、記。
☆尽(つきることのない)挙(くわだて)の講(はなし)の芯(中心)は、化(形、性質を変えて別のものになる)珍しい記である。

 人の去るひかり(人去光)はニン・キョ・コウと読んで、任、挙、講。
 真夏はシン・カと読んで、辛、訛。
 椿の樹はチン・キと読んで、沈、己
☆任(まかせる)挙(全て)の講(話)である。
 辛(つらい)訛(まちがえ)に沈(気分がしずむ)己(わたくし)である。

 人の去るひかり(人去光)はチン・コ・コウと読んで、沈、湖、溝。
 真夏はシン・カと読んで、深、苛。
 椿の樹はチン・ジュと読んで、沈、需。
☆沈む湖の溝は深く苛(厳しい)。
 沈めることは需(必要)だった。


D『L.H.O.O.Q.』

2021-08-19 07:13:08 | 美術ノート

   『L.H.O.O.Q.』
 修正レディ・メイド:モナ・リザの複製画に鉛筆

 百パーセント女性の肖像画だと信じていたものが、口と顎に髭を加筆しただけで(女から男へ)変貌している。
 どう見ても男にしか見えない。どこを変えただろう、加筆しただけである。

 男と女の相違、これほどのものだったかと愕然とする、この軽さ。わたしたちが絶対だと確信する観念の危うさ。
 いや、いや、絶対に根本的に違うのだという確信は崩せない。

 この絶対とは何だろう。
 このいたずら書きのような作品の真意にドーンと突き落とされるような衝撃を覚える。同じもの、差異の薄いものを拡大し《差別》という眼差しを訓練、教育されてはいないかと。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』10。

2021-08-19 06:45:00 | 宮沢賢治

 一疋の灰いろの鳥、灰いろは老人を暗示しているのではないか。
 それはくゎくこうでした。くゎくこう…苦惑薨、苦しみ惑う死にゆく人という含みがある。薨は身分の高い人の死を指すが、平等という指標においてはこの言葉が当たると思う。

 かっこう「わたしらのなかまならかっこうと一万云へば一万みんなちがふんです。」
 平等ではあるが万人それぞれがそれぞれの個性を持っており、決して同じ人はいない。賢治の基本理念である。

「えゝ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」
 外国、それは現世ではない黄泉の国、どんな意気地なしでも自分の足で黄泉の国へ入っていくという。